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森岡正作「背後には鬼もゐるべし虫の闇」(『鮎の川』)・・

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 森岡正作第4句集『鮎の川』(角川書店)、その「あとがき」に、  (前略) 私は秋田県の北秋田市の片田舎に育った。近くには花の百名山に数えられる森吉山があり、そして鮎の川がある自然豊かな所であった。若い頃にはそんな故郷を愛し、俳句に詠んでおきたいと思い、風土性やら土着性と言った言葉に惹かれたが、過疎化を急ぐ村の変貌には如何ともし難いものがあった。  以来、都会生活にどっぷりと浸かってしまったが、今は型を決めずにどんな対象でも素材でも自由にのびのびと詠んでみようと思っている。自然とか人事、写生や滑稽、ペーソスなどの言葉に触れながら詠む。そして振り返ってみた時に、田舎の曲がりくねった道のようなものでも、僅かな軌跡となって残っていればよいと思っている。   とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。   電子辞書亀を鳴かせてくれまいか        正作    憲法記念日律儀なバスの日章旗   冬凪や昭和を畳み父の逝く        腹の泥乾いてゐたり孕鹿   囀りや骨に始まる考古学   万愚節白羽の矢なら討たれたし   迎へにも送りにも来て鬼やんま   着ぶくれの身に飼ひ馴らす天邪鬼   あめんぼう足手まとひのもの持たず   かたつむり愛の言葉を聞き洩らす   三猿に徹し切れざる冬籠   海鼠にも底意地のあり黙尽くす   蛇苺かはいい嘘を聞いてやる   光らねば己が消ゆる夜光虫   良夜なる月を二つに淡海かな   釣具屋に溺れてゐたる春隣      森岡正作(もりおか・しょうさく) 1949年、秋田県北秋田市生まれ。    鈴木純一「ガザの子に100円やらず店を出て缶チューハイをプシュッとあけた」↑

阿部青鞋「想像がそつくり一つ捨ててある」(「連衆」103号より)・・

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  「連衆(れんじゅう)」103号(編集・発行人 谷口愼也)、本号には、愚生の『水月伝』評が、二方の手になっている(深謝!!)。羽村美和子「カフェテラスー『水月伝』伝ー」と夏木久「俳句論/Q俳句の迷走⑬ー「水月伝」考③ー」。ここでは、川村蘭太の評論「昭和初期の高屋窓秋と私(上)ー「俳句欲求」と「俳句形式」の折り合いー」の一部を紹介しておこう。 (前略) 窓秋が寅秋子の号で、当時「ホトトギス」の系絡(けいらく)誌「破魔弓(はまゆみ)に初投句するのが昭和2年、彼が17歳で私立九州学院を卒業する年である。その句がこれである。   春水や廂の裏に照り返し      (1月号)   紅葉茶屋雌瀧雄瀧真向に      (同右)  また、本陣ともいうべき「ホトトギス」の初入選句は、それから7ヵ月後のことである。   釣橋の影延びてゐる晝霞      (8月号)  窓秋のこの句を選んだ高浜虚子は、この2ヶ月前の6月に、俳句は花鳥諷詠詩であると定義づけている。それから3年後の昭和5年、20歳になった窓秋は、虚子編の「歳時記」にも採録されるや次の句を発表している。   葦かれたる菖蒲や長し潮来町    (8月号) (中略) そして窓秋が、この句が〈ぼくの出発点〉であるという作品が、すでに「馬酔木 (あしび)」 と改題した誌面に登場するのが〃昭和5年。選者は秋櫻子である。   ふるさとの朝ぐもりにぞ起きにける     (中略) 〈春水や廂の裏に照り返し〉から、この句に至るまで3年の時が流れている。ではここで、私が気にとめたここにくるまでに発見した窓秋の句を紹介して次に進む。   雛の灯のともりし旅の宿りかな (昭和4年・1月号)   金絲雀をさわがしたるは百舌ならめ (同右・6月号)   水門の中に見えたる田植かな (昭和5年・10月号)   籐椅子に足の冷たき山の雨    (同右・12月号)   (中略)  また、窓秋の第一句集『白い夏野』(昭和11年発刊)には、この昭和5年までの句をすべて破棄している。従って、私が今まで披露してきた窓秋の若書きにお句を彼の句集から読むことはできない。更に、朝日文庫版の『高屋窓秋(他に赤黄男・白泉)集』の解説を三橋敏雄が担当し、窓秋の「ホトトギス」の初入選を〈葺かれたる菖蒲やながき潮来町〉の初入選の句としているが、これは間違いである。私の調査を...

林亮「錦木に古き夕日の差しにけり」(『林亮 詩集』より)・・

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 『林亮詩集』(私家版)、著者「あとがき」には、  三十歳から二十数年のあいだ、詩(自由詩)と俳句(定型詩)の両方を、どちらに片寄ることなく作っていた。その後、詩費やす時間が少しずつ短くなっていき、今ではもっぱらはを作っている。詩についてはこれからも、思い出したときに作るくらいのものだろうから、、年齢のこともあり、これまでの作品を整理することにした。直近の句集『詩筒』から五十句を選んでみたので、読み比べていただければと思う。   とあった。収載は、詩集『吏員』(1990年)抄、『丁』(1999年)抄、『記憶一九七一年』(2006年)抄、『椅子のように』(2009年)抄、『未刊詩篇(詩集『椅子のように』以後)より』、句集『詩筒』(2024年)抄。詩篇は近年になると短い行になる傾向にある。 ここでは、詩篇から、短い詩を二篇、句をいくつか挙げておきたい。     愛 Ⅱ  憧れるべきは  窓の玻璃  いつも見られていて  ずっと見つからない  愛する人の  指紋を留め  息に曇り  哀歓を映し  そして  何も覚えていない     思い出 Ⅱ  水を汲み  水を零す  水車のょうに  思い出を汲み  思い出を零す  永遠に  その場所で   人ごとに降りの異なる別れ雪   初蝶にひらかれてゆく野の扉   柊の花を最後の師と仰ぐ   丹頂を降ろして天に帰るもの   風花のいくひら止むに間に合はず  林亮(はやし・まこと) 1953年、高知県生まれ。 ★閑話休題・・第一回TAMA市民塾「俳句講座-現代俳句入門ー俳句は過渡の詩ー」(於:多摩交流センター)・・ 一回目は自己紹介俳句↑  10月13日(月)は、愚生が講師の「TAMA市民塾講座:現代俳句入門ー俳句は過渡の詩ーj第一回。場所は、府中市役所北第二庁舎6階の多摩交流センターでおこなった。 「多摩交流センター」の案内パンフによると、「 多摩交流センターは、多摩地域で行われている芸術文化、スポーツ、福祉、環境等、さまざまな分野の自主的で広域的な市民運動を支援しています 」とある。  次回は11月10日(金)、「兼題」は「冬はじめ」「北風」各一句。俳人紹介は池田澄子。これから、毎月第二月曜に全6回の講座になる予定である。        撮影・中西ひろ美「谿深く音のみ聞こえ蕎麦処」↑

上川涼子「誰が如何なる動機に拠りて作りしか兵器に人の本性(ほんせい)は冴ゆ」(『水と自由』)・・

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   上川涼子第一歌集『水と自由』(現代短歌社)、栞文には、小池昌代「比喩を越えて―ー『水と自由』の動物性』、石松佳「自由な眼」、菅原百合絵「天使の厳粛な美学」。その小池昌代は、   タイトルにある「と」という助詞に、目が止まる。水「の」自由でも、水「は」自由でもない。水は水であり、自由は自由。それでいてこの二物には、やがて混ざり合うような気配があった。感覚の、鋭く立つ歌集である。表現が動的・予兆的で、言葉が比喩の枠に固まらない。比喩を超え、物の髄まで到達しようとする。そのとき、この歌人の凄みがあらわれる。   豹の頭 (づ) を模る蓋の重さにて壜のなかなる香気うごかず 「模る」がかかるのは、「蓋」でなく「重さ」と読んだ。ありふれた壜の蓋が、脳内で瞬時に豹の頭に変身する。そのとき、頭と蓋の二物は、比喩的関係を解き、水と自由さながら対等になる。二物間を、詩的「質量」のみが移動する。空 (から) の壜の中、動かない香気は、獲物を狙う豹のように危険で艶めかしい。 と記す。また「著者「あとがき」には、 (前略) 短歌を書きはじめたのは十六歳の夏、詩はそれ以前からのかかわりですが、作品をだれかに見せる勇気はないまま、長い時間を過ごしました。日中は透明人間のように過ごして、夜になるとテクストの中へと帰ってゆく日々でした。歌会や詩の合評会といった、詩歌の読解と批評の営みに参加するようになったのは二十代半ばのことです。私は、その営みから、どうにか人と関わり合うことができるようになった気がしております。詩歌によって出会ったすべての人への感謝をここに記します。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を挙げておきたい。  チューリップの茎は東へ撓みたりなんの公理か春は深まる           涼子   永遠にひらく眼をもつ石像を見遣りてはるぷし、とくさめせり  旋律がわたしをそつとおとづれてはばたくまでの舌はとまり木  死が生の正装ならこの春は仕立てよき花柄の普段着を  鵜の喉をくだりてのちをさかのぼるいろくづのごと日々はめぐるも  放鳥舎の二重扉を出て仰ぐ飛ばざるものの空の湛 (ふか) さを   『エルサレムのアイヒマン』から『望郷と海』を読み継ぐ凡庸に働きながら  書き継ぎてゆくうちに詩が書かしむる一行がある 書きたし  生といふ痙攣をゆく黒揚羽と...

杉美春「なめらかな鱗生えそう夜のプール」(「つぐみ」NO.225 より)・・

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 「つぐみ」No,225 2025.10月号(編集発行 つはこ江津)、「俳句交流」は杉美春。「豈」同人の方の幾人か居られる。以下にいくつかの句を挙げておこう。   海遠く運搬船と夾竹桃             八田堀京    ひと呼吸ことばは遅れ稲の花          渡辺テル    するすると連なつて来る遠い夏        わたなべ柊     スピード狂母の愛した杜鵑草          有田莉多    神無月月極の男募集中             井上広美    夏草や礎石は爆心点仰ぐ            入江 優    月映 (つくはえ) へ絵画館出 (い) で昏 (くら) みたり                        打田峨者ん    露草を摘み取る前に抱きしめて      おおさわほてる    マイトンボひらひら舞ってゆめうつつ      金成彰子   満ち潮にあまた水母の息遣い           楽 樹    たれに告げむ くちなわみごもる 月の沼     伍 宇    工場の屋根に錆ある残暑かな          高橋透水    海ともいえぬ水とぷんとぷん秋がくる     つはこ江津    魚屋が無 (の) うなったあの太刀魚よあの蛸よ  天空海士      自由って溺れるまでの立泳ぎ         夏目るんり    干梅を一つ摘まんで「じゃーまたね」      西野洋司    刈田風崖っぷちからもどりくる       ののいさむ    天高し次の電車は二時間後          蓮沼明子    鳰が鳰に寄り添うヘクソカズラかな      平田 薫  ★閑話休題・・杉美春「波濤また波濤の先を帰燕かな」(『櫂の音』)・・     上記、「つぐみ」No,225/「俳句交流」の杉美春第一句集『櫂の音』(ふらんす堂)。序は有馬朗人、それには、 (前略) 美春さんは大学でフランス文学を専攻した。また卒業後も翻訳に従事したことのある才媛である。そのような才能がある上に絵画鑑賞にも興味を持っている。『櫂の音』の中にオキーフとかダリなど多くの画家が登場するのはその結果である。例えばオキーフについて   オキーフの花崩れゆく遅日かな   オキーフの絵の骨白き冬日和   オキーフの砂漠に降りる霜の花 と詠っ ている。オキーフ(一八八七~一九八六)...

芳野ヒロユキ「ぷろぽーずするかさせるかかれすすき」(『運命のズッキーニ』)・・

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  芳野ヒロユキ第2句集『運命のズッキーニ』(象の森書房)、跋は坪内稔典「極みへ、あるいは辺境へ」、それには、  芳野ヒロユキにはすでに代表句ともいうべき句がある。この句集の巻末に出ている次の句だ。   ちゃんちゃんこアルゼンチンチン共和国   カタバミは山崎自転車屋のおやじ  句集『ペンギンと桜』におさめられているが、前句はリズムがとっても楽しく、意味などはどうでもよい。というか、読んだときの音感を楽しめばよいのである。ボクは炬燵のまわりをこの句を唱えて走り回っている幼児を連想するが、80歳の老爺が唱えて「おっ、俺の自画像がも」とニヤリとしていてもよい。 (中略)   俳句の575の表現は究極的にはリズムとイメージである。と、最近のボクは思っている。自作を例にすれば、リズムの句は「春の風ルンルンけんけんあんぽんたん」、イメージの句は、「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」だろう。右の2句、ヒロユキの句と同じように意味はどうでもよくてリズムとイメージでできている。   とあり、著者「あとがき」には、 (前略) コンセプトは「あなたのそばに」である。本書は本棚に入ることを想定していない。バッグに入れて通学や通勤時間に読んでもらうだけではなく、リビング、食卓、キッチン、トイレ、毎日の暮らしの様々な場面でほんの十秒でいいからこの句集を開いてほしい。毎日の季節の巡りの中でページを捲ってほしい、そういう意図である。  とあった。集名に因む句は、    次回、運命のズッキーニ。お楽しみに。      ヒロユキ  であろう。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。    吉祥天至るところにつくしんぼ   ウナギになるんだウナギになるんだウ   ボラードに座るクラゲを考える   ゴンドワナからの約束青銀杏   柿ふたつたっぷりな人生でした    お正月全人類がチンアナゴ   初雪が降るアルペジオアルペジオ   トマト鍋みんながみんなリコピンピン   なまはげの直前で泣きじゃくる      芳野ヒロユキ(よしの・ひろゆき) 1964年、静岡県磐田市生まれ。 ★閑話休題‥和田信行「鎮守府の祭り囃子に逸(はや)る子ら」(「立川こぶし句会」)・・  10月10日(金)は立川こぶし句会(於:立川市女性総合センター アイム)だった。以下に一人一句を挙げ...

河野愛子「人の半分(なかば)は女、時の半分は夜とや生(あ)れて寂しき冬雷の底に」(『をとめよ素晴らしき人生を得よ』より)・・

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  瀬戸夏子著『 をとめよ素晴らしき人生を得よ /女人短歌のレジスタンス』(柏書房)、その「はじめに」の中に、  (前略) 一九四九年、女性歌人たちによって超結社「女人短歌会 (にょにんたんかかい) が発足した。同じ年の九月、季刊歌誌「女人短歌」が創刊された。さらに女性歌人たちのシリーズである「女人短歌叢書 (そうしょ) 」が立ち上がった。女性は短歌総合誌に作品を発表することさえままならない時代があった。例外的な女性スター歌人は何人かいたが、女性歌人全体の扱いはひどいものだった。このままでいいはずがない。怒りちお焦燥から「女人短歌」は生まれた。 (中略)  戦後女性短歌―-いや戦後短歌シーンにおいて非常に重要な組織だったにもかかわらず、「女人短歌」についての研究は数少ない。わたしも―ーわたしたちも「女人短歌」について、そこにいた女たちについて、あるいは彼女たちの時代についてまだほとんど何も知らなかった。  わたしは彼女たちひとりっひとり、すこしずつ調べてみることにした。けれど調べれば調べるほど、彼女たちはひとりきりで歌をつくっているわけではないことがわかった。 (中略) 彼女たちの存在も。彼女たちの歌の価値も。これから、短歌の歴史は大きく書きかえられていくことになるだろう。  けれどその前に、この本は、彼女たちの物語を必要としている人たちに捧 (ささ) げられることになるだろう。キャットファイトとしてジャッジされ消費されるわけではない、けれど過度に美化され欲情されるわけででもない、いまこの時代においても切実に必要とされている、あるいはわたしたち自身の姿にもよく似ている彼女たちの物語が存在することによって救われる、あなたたちに向かってこの本は書かれることになる。  とある。第4章「北見志保子と川上小夜子」の冒頭のみを少し抽こう。   「女人短歌」というプラットフォームは、北見志保子 (きたみしほこ) と川上小夜子( かわかみさよこ) のシスターフッドが生んだ最高傑作だ、というのがわたしの考えである。   彼女たちはなんども試みた。  なんとか女性だけでもやっていける短歌シーンの仕組みをつくれないか?  なぜならこの社会の仕組みと同じく、短歌の社会もまた「家」に似ていて、首長である男に外されてしまえば、女性たちは短歌つくり、、発表し、発言する場がかんたんに失われてしまう...