阿部青鞋「想像がそつくり一つ捨ててある」(「連衆」103号より)・・

 

「連衆(れんじゅう)」103号(編集・発行人 谷口愼也)、本号には、愚生の『水月伝』評が、二方の手になっている(深謝!!)。羽村美和子「カフェテラスー『水月伝』伝ー」と夏木久「俳句論/Q俳句の迷走⑬ー「水月伝」考③ー」。ここでは、川村蘭太の評論「昭和初期の高屋窓秋と私(上)ー「俳句欲求」と「俳句形式」の折り合いー」の一部を紹介しておこう。


(前略)窓秋が寅秋子の号で、当時「ホトトギス」の系絡(けいらく)誌「破魔弓(はまゆみ)に初投句するのが昭和2年、彼が17歳で私立九州学院を卒業する年である。その句がこれである。

  春水や廂の裏に照り返し      (1月号)

  紅葉茶屋雌瀧雄瀧真向に      (同右)

 また、本陣ともいうべき「ホトトギス」の初入選句は、それから7ヵ月後のことである。

  釣橋の影延びてゐる晝霞      (8月号)

 窓秋のこの句を選んだ高浜虚子は、この2ヶ月前の6月に、俳句は花鳥諷詠詩であると定義づけている。それから3年後の昭和5年、20歳になった窓秋は、虚子編の「歳時記」にも採録されるや次の句を発表している。

  葦かれたる菖蒲や長し潮来町    (8月号)(中略)

そして窓秋が、この句が〈ぼくの出発点〉であるという作品が、すでに「馬酔木(あしび)」と改題した誌面に登場するのが〃昭和5年。選者は秋櫻子である。

  ふるさとの朝ぐもりにぞ起きにける    (中略)

〈春水や廂の裏に照り返し〉から、この句に至るまで3年の時が流れている。ではここで、私が気にとめたここにくるまでに発見した窓秋の句を紹介して次に進む。

  雛の灯のともりし旅の宿りかな (昭和4年・1月号)

  金絲雀をさわがしたるは百舌ならめ (同右・6月号)

  水門の中に見えたる田植かな (昭和5年・10月号)

  籐椅子に足の冷たき山の雨    (同右・12月号)  (中略)

 また、窓秋の第一句集『白い夏野』(昭和11年発刊)には、この昭和5年までの句をすべて破棄している。従って、私が今まで披露してきた窓秋の若書きにお句を彼の句集から読むことはできない。更に、朝日文庫版の『高屋窓秋(他に赤黄男・白泉)集』の解説を三橋敏雄が担当し、窓秋の「ホトトギス」の初入選を〈葺かれたる菖蒲やながき潮来町〉の初入選の句としているが、これは間違いである。私の調査を今後参考にされたし。


 とあった。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げておこう。


  万事間の悪き男の嚏かな         杜あとむ

  仙人のひらひら春の花かつを       谷口慎也

  山椒魚の結界ゆらぐ電子音       羽村美和子

  天道虫死んだふりして死んでゐる     森さかえ

  痛いところを心理学的心太        夏木 久

  夏に〇□△×ばっか           鍬塚聰子

  愛新覚羅薄儀へのうぜんかずらブギ    加藤知子

  AIの自我に目覚める草の絮        墨海 游

  死に至るまでの花火は不発なり      川村蘭太

  錯倒や造花の蜜に酔ひ痴れて       小倉班女


  

    撮影・芽夢野うのき「手放すものがまだあるのか真っ赤な花」↑

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