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夏石番矢「未来より滝を吹き割る風来たる」(「夏石番矢 現代俳画展」より)・・

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 「退職・古希記念/夏石番矢 現代俳画展」(於:銀座 Gallery STAGE-1)、2025年9月1日(月)~6日(土)。 リーフレットには、   世界の俳句を牽引する夏石番矢による/渾身の現代俳画の  多彩なウルトラ・コスモス とある。また、   2012年「夏石番矢の俳句とエーヴァ・パーパイの水彩画展」をブダペストのエリザベスコミュニティーセンターで開催、2015年「夏石番矢自選百句色紙展」を東京・神田神保町OKIギャラリーで開催、2022年「俳人夏石番矢のパンデミック下でのたたかい~『世界俳句』を主導して」が姫路文学館で、「夏石番矢の俳句系アート」がギャラリーランズエンドで開催。  ともあった。ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておこう。    雲中白鶴琴線である子午線            番矢    裸木よ今夜も星星は誤植だ   街への投網のような花火が返事です   天球ノ重心ニ白魚ノ発生ヲ見ルヤ   神々のあくびが桜を枯らすのか   洋上の銀河を犯すいなびかり   霧は太陽の吐息こわれた魔笛   虚空の上の別の虚空を飛ぶ法王   砂漠の劇場魂を買う金がない   氷の上で白馬が白鳥になる夕べ   見えない王冠あらゆるものを空位とす   赤い草の実空気に抱かれてつやゝか   国老いてパンドラの箱開きっぱなし   千年の留守に瀑布を掛けておく   天へほほえみかける岩より大陸始まる   夏石番矢(なついし・ばんや) 1955年、兵庫県生まれ。 ★閑話休題・・井澤勝代「骨のうく子らに届かぬガザの秋」(立川こぶし句会)・・  9月13日(土)は、立川こぶし句会(於:立川市女性総合センター アイム)は、いつもの第二金曜日ではなく、都合で本日になった。一人一句を以下に挙げておこう。    ぽつねんと赤い水筒草いきれ        川村恵子    バット振る子のユニホーム夏過ぐる     大澤千里    考える葦はいずこぞ桐一葉         井澤勝代    新涼や白のまぶしき割烹着         伊藤康次    御巣鷹や汗の急登四十年          和田信行   我が町にお相撲が来た雲の峰        尾上 哲    ひと齧り口ほころぶや水の梨        高橋桂子   街中の男日傘も板につき          三橋米子    外壁の足場を照ら...

山田真砂年「月影のざふざふとして棉吹けり」(『夜は昔の』)・・

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  山田真砂年第3句集『夜は昔の』(角川書店)、著者「あとがき」には、  本句集は、『西へ出づれば』、『海鞘食うて』に続く第三句集である。前句集よりずいぶん時間が経ってしまった。鍵和田秞子先生からは、「早く句集を出しなさい」と何度も尻を叩かれたが、生返事ばかりで行動を起こさなかった。果たして、本句集をお見せすることもできず、彼岸へお送りすることになってしまった。 (中略)  その後、秞子先生の逝去により「未来図」は解散したが、一緒に勉強しよう自発的に集まった方たちと「稲俳句会」を立ち上げることとなった。創刊にあたって、「俳句は詩である。詩は心のゆらぎ。きらめきである。さまざまな心のゆらぎを五七五で表現したものが俳句である。今の己の身の丈にあった言葉で表現しよう」という、俳句への思いを述べた。  俳句は、言葉ばかりが先走らず、実感を大事に詠みたい。虚構を描いてもそこに実感が宿り、リアリティ ーが滲むような俳句でありたい。今後は、稲俳句会の仲間と一層実感のある句を詠んでいきたい。  とあった。集名に因む句は、    新米や夜は昔の話して          真砂年  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておきたい。    去年今年あがれぬほどの湯のぬるき   うかうかと踏めば水泛く春の土   滴りの滴る時を走りけり   月代を魚も病んでをりにけり   八月の空の真下の草の罠   飾売裏に女が吹かれをり   金魚玉安穏の水動かざる   昼の虫いつ見ても母うつらうつら   浮寝鳥塔を離れし雲の影   冬欅山より星を掃き出しぬ   ちよろちよろとちよろつちよろつと池の蝌蚪   息をせぬ静けさむつと夜の百合  山田真砂年(やまだ・まさとし) 1949年、東京都生まれ。 ★閑話休題・・武蔵野郵便局過労死の責任を求める会/正式結成集会(於:武蔵野芸能劇場)・・                 アピールウオーク↑  9月12日(金)午後18時半から、行われた「武蔵野郵便局過労死の責任を求める会」に、三鷹駅北口にある武蔵野芸能劇場ね出掛けた。さらに集会後に行われた アピールウオーキング (愚生の時代は、デモ行進と言った)で武蔵野郵便局まで、30分ほど散歩のつもりで歩いた。愚生が所属していた三多摩労組の若かった組合員からの電話があり、参加しないわけにはい...

武馬久仁裕「永遠のインドは今日も振り向かず」(絵と俳句『月とランプと夜の雲』)・・

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  武馬久仁裕 絵と俳句『月とランプと夜の雲』(私家版・しまうまプリント)、集名に因む句は、    仮に描く   月と   ランプと   夜の雲               久仁裕  であろう。  以下にいくつかの句を挙げておきたい。    あわあわと   ひと日   過ぎ行く    インド洋    ありふれた記憶の底にある椿   ありもしない花束となる薔薇を切る      秋    時雨     あなたと       出会う         すこし   前    冬銀河渦巻くコインランドリー  武馬久仁裕(ぶま・くにひろ) 1948年、愛知県丹波郡古知野町(現・江南市)生まれ。 ★閑話休題・・森澤程「楡の枝霧にうごいて旅寝かな」(「~ちょっと立ちどまって~2025・8)・・  「~ちょっと立ちどまって~」2025・8は、森澤程と津髙里永子の二人のハガキ通信。    秋の滝幾筋か岩選びゆく           津髙里永子     撮影・中西ひろ美「イヤホンの出てくる出てくる耳地獄」↑

伊藤伊那男「吾が骨も団扇の骨もあらはなる」(『狐福』)・・

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  伊藤伊那男第4句集『狐福』(北辰舎)、著者「あとがき」に、   これまでの私の句集を顧みると、第一句集の『銀漢』は平成十年、四十九歳で出版。第二句集『知命なほ』は平成二十一年、六十歳、第三句集『然々と』は平成三十年、六十九歳の時の出版であった。概ね十年単位で纏めてきた。第四句集は喜寿の年辺りを節目に纏め始めようか、と思っていた。ところが二年程前七十四歳の秋に胆管癌を発症した。胆嚢、十二指腸を全部切除、膵臓を半分切除、胃腸を四分の一切除とという内蔵の地図が変わるような手術をした。そのご経過は徐々に厳しさを増しており、昨秋肝臓への転移が確認された。そんな病状にて少し繰り上げて、まだ元気な内に区切りを付けようと思い立ったのである。 (中略)  銀漢亭を閉じて五年以上が経つ。もともと読書や旅が好きであったが、自由な時間を得て、更に密度濃く俳句と歴史探訪の旅を重ね、知的好奇心を満たす貴重な日々を過ごすことができた。  「狐福 (きつねふく )」という言葉がある。私の郷里、信州伊那谷を漂泊していた井上井月の〈松茸や薪拾ひの狐福〉という句でそれを知った。もともとは稲荷信仰から生まれた言葉のようだが、それを離れて「思いがけぬ幸福。僥倖」を指す。思えば私の人生は狐福であったとつくづく思う。これが本句集の題名の由来である。  さて本句集は自分では、「自己透視の目が少し加わってきたかな、と思っているのだが、どのような評価を受けることになろうか。   とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、本集より、いくつかの句を挙げておこう。    この羅漢涅槃このかた泣きどほし        伊那男    浅草へ橋もなかばの良夜かな     一月二十一日    久女忌は妻の忌やはり雪催   叩くほかなく石庭の石叩   露草の露もて妣への便りせむ   古日記空白なるは悲しき日   黴兆す遺品となればことごとく     日本橋    橋桁に戦禍の焦げや都鳥       花筏組むに手を貸す罔象女 (みずはのめ)    初鏡遺影の妻がすぐうしろ   春の蚊の人の温みに来て打たる   熟るるまで仏に預けおくメロン      胆管癌の手術を受く    芭蕉忌の曾良とも頼む点滴棒    自問して自答して秋深みかも   靖国の落葉は万の手紙めく    伊藤伊那男(いとう・いなお) 1949年、長野県駒ケ根市生まれ...

筑紫磐井「来たことも見たこともなき宇都宮」(「コールサック」123号より)・・

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  「コールサック」 〈石炭袋〉123号(コールサック社)特集Ⅰは、「関悦史が聞く昭和・平成俳人の証言(6)/筑紫磐井ーアンチテーゼ的評論の源流」、活字2段組34ページに及ぶインタビュー記事である。筑紫磐井のこれまでの歩みが、概観できるものだ。末尾には「筑紫磐井(つくし・ばんせい)略歴」「筑紫磐井自選30句」を収載。記事中に、     有季定型が大事?……『定型詩学の原理』  実は以前から私が影響を受けたのは高野辰之という人の『日本歌謡史』という名著。これはかなり前から読んでました。古代の歌謡から始まって、明治に至る歌謡を全部完璧に分析しています。加藤郁乎賞の授与で郁乎が指摘しているのはさすがだと思いました。ただ、どちらかというと高野は内容的な分析が多いものだったんですけれど、私は内容を切り捨てて、その形式だけでやってみたいと思うようになりました。 (中略) 今俳句の方で大事と思っている定型五七五って、五と七でできてるっていう。これ、どこからできているかっていったら、和歌の途中からでっすよね。万葉集は冒頭の歌は五七でできていないんです。これ、さかのぼると日本書紀、古事記の歌謡と同じで、不定の長・短・長・短の繰り返しだけ。だから、日本人が五七音が好きだったというのは、あれ嘘だと思っています。 (中略)    俳句史は今、俳壇史  続ければ、私が『戦後俳句史』の中で六十二年から平成六年ぐらいの「結社の時代」という角川の「俳句」がキャンペーンを張った時代があったと言いました。これは川名さんの『昭和俳句史』の外にあるので無視されていますが、非常に大事です。これを引き継ぐように、「俳句って楽しい」っていうそういうカルチャーが、辻桃子の「童子」あたりから始まってます。あるいは黛まどかの「ヘップバーン」もそうしたところがあるかもしれないし、黒田杏子さんも彼女自身歴史的視野を持っているけど、あの人の俳句の指導はやっぱり「俳句って楽しい」っていう意識だと思います。それがまた現在の夏井いつきに引き継がれていると思う。だから、もはや表現史の時代じゃないんです。 (中略) だから、悪いとは言ってないけれど、そういう風な時代から表現史は排斥されてるっていう意識は、頭に入れておいた方がいいんじゃないかなと思う。  その結果が平成、令和になったら、もう俳壇無風です。そして私が言っているの...

河本緑石(ろくせき)「海ははるかなり砂丘のふらここ」(『早く逝きし俳人たちー『祈り」としての俳句』より)・・

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 樽見博『早く逝きし俳人たちー「祈り」としての俳句』(文学通信、2700円税別)、その「はじめに」に、     本書は前著『戦争俳句と俳人たち』(トランスビュー、二〇一四年)、『自由律俳句と詩人の俳句』(文学通信、二〇二一年)執筆の過程で出会った早世の俳人たち十二名の作品と生涯を紹介したものである。  優れた才能を持ち、輝くような作品を残しても、人々の目に触れる資料がなければ、またその作品を伝える語り部がいなければ、時の流れに埋もれていってしまう。  私は古書業界に身を置いてきたので、様々な資料に出会う機会に恵まれている。俳句関係の資料は需要も少なく、時にはゴミとして処分されてしまうことも少なくない。ことに膨大な数にのぼる俳句雑誌などはその典型である。 (中略)  そんなことから、偶々私が出会った早世の俳人たちの作品を、その初出誌にさかのぼり出来る限り紹介したものが本書である。主に私が参加している同人誌『鬣 (たてがみ) 』と、編集している『日本古書通信』に掲載したものを、加筆の上まとめた。 (中略)  私が今回取り上げた「早く逝きし俳人たち」の多くは戦争の犠牲者と言えると思う。戦死者ばかりが犠牲者ではない。平和であれば埋もれずに済んだ者がいる。 (中略)  戦争は何一つ人々に幸いを齎さない。戦争の時代に突入しないことを、今、心から祈るだけである。  とあり、また「あとがき」には、 (前略) 前著二冊と比べると、今回は国立国会図書館デジタルコレクションに頼るところが多かった。基本は家蔵の資料を使ったが、神奈川近代文学館、日本現代詩歌文学館の協力に加え、機能と利用度が格段に増したデジタルコレクションがなければ完成は覚束なかったことは確実である。有難い存在である。一方でコピーでは隔靴掻痒の感は否めず、この恵まれた状況だけで良しとする風潮が出来てしまう懸念も拭えない。様々なことを念頭に置けば、今後も基本は自身で入手した資料を基本にし、どうしても足りない物だけ公共機関の資料を利用すべきだと考える。デジタルで公開されているのは、まだ本当に一部にしか過ぎないという点も見逃してはいけないと思う。   とあった。ここでは、収載された12名の早世の俳人たちと一句のみを、目次より紹介しておくので、興味を持たれた方は、是非、直接手にして、ご覧になっていただきたい。  巻尾には、神...

虚子「不思議やな汝が踊れば吾が泣く」(「夏潮」別冊/「虚子研究号」Vol.第15輯 2025より)・・

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「夏潮」別冊「虚子研究号」Vol.ⅩⅤ2025(夏潮会)、 表紙裏(表Ⅱ)には本井英の「夏潮 虚子研究号 第十五輯」発刊に際してがある。その中に、 (前略) 私事に亘りますが、昨年の「十四号」には折からの大動脈置換手術のため執筆出来ず、洵に申し訳なく、多大なご迷惑をおかけしたことお詫び申し上げます。 (中略)   これまた私事ながら、この夏とうとう八十歳を迎えました。俳誌「夏潮」の運営、さらには「夏潮研究号」のあり方についても、ゆっくり考えても良い時期かもしれません。  今号も、小生の編集業務怠慢から、三箇所の「虚子記念館」の情報を掲載することを得ませんでした。三館並びに読者諸兄姉に深くお詫び申し上げます。  とあった。愚生としては、お身体大切にお過ごしください、としてしか申し上げることしか出来ない。ご自愛祈念!  さて本誌本号の目次は、井上泰至「虚子書芸論序説」、岸本尚毅「芥川と俳句―-『ホトトギス』との関係その他」、小林祐代「『椿子物語』『絵巻物』考」、筑紫磐井「虚子の客観的写生論とは」、中本真人「虚子作『髪を結ふ一茶』と初代中村吉右衛門」、本井英「虚子句の『自他半』」。ここでは、本井英の論考から、「虹もの」の項の部分を紹介しておきたい。 (前略)  不思議やな汝が踊れば吾が泣く    虚子  『六百句』所載。詞書に「(昭和十八年)十一月十八日山中、吉野家に一泊。愛子の母われを慰めんと踊り愛子も亦踊る」とある。小説『虹』のクライマックスをなす場面である。「汝」と「吾」の対比がけざやかで、「自他半」の形態がまことにすっきりと効果を挙あげている。ささやかな「宴会」がそれなりにクライマックスを迎えて、昔、三国の港で艶名を轟かせた老妓と病弱のその娘が踊るのである。実はその折り、愛子のパートナーであった伊藤泊翆も「踊った」のであるが、小説の筆からは省略され「自他半」の俳句からも抹消された。虚子の美学である。   とあった。ともあれ、本井英より「自他半」とされた句をいくつか挙げておこう。    鮠釣る子障子洗ふは姉ならめ        秋櫻子    吾妹子を乗せて漕ぎ出て浪すずみ       青畝    はたはたや妹が唇すふ山の径         誓子    人仰ぐ我家のの椿仰ぎけり          素十    松虫に恋しき人の書斎かな          虚子    薔薇...