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永田浩三「漁夫逝けり怒濤と凪を抱きつつ」(『原爆と俳句』より)・・

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   永田浩三著『原爆と俳句』(大月書店)、その「はじめに 生と死を詠う世界」の中に、 (前略) 原爆がわれわれが生きるこの世界にもたらしたものは何か。それを語ることはむずかしい。そして俳句。その短さゆえに、一見理解しやすそうだが、途方もなく奥が深い。句の周りに広がる沈黙や時空間の大きさゆえに、誤読や誤解を生むことさえある。好き勝手に受けとめてしまうことが起きがちであり、逆にそれを許容する懐の深い世界である。 (中略)   被爆者の方が抱く感情や感覚を考えるとき、わたしはいつも岩佐幹三 (いわさみきぞう) さんのことを思う。4年前、91歳で亡くなった日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の顧問。学生も含め、大事にしていただき、映像作品もつくった。2024年秋、日本被団協はノーベル平和賞を受賞した。岩佐さんが生きておられたらどれほど喜ばれたことだろう。  「僕は原爆の火に焼かれるお母さんを見殺しにして逃げた……」それが岩佐さんの口癖だった。罪の意識を胸に、戦争も核兵器もない世界を実現するために生涯をささげた。 (中略) 後ろから母が般若心経を唱える声が聞こえた……。岩佐さんがつくった句がある。   母唱う経の声背にし逃げ去りぬ      岩佐幹三  岩佐さんは、母への罪の意識を胸に、核のない世界を訴えつづけた。 (中略)   原爆を体験したひとたちは、こうした死をめぐる諸相を行ったり来たりしている。それら世界の間を行き来する軌跡こそが、被爆者の人生というものではないだろうか。 そして、「おわりに」の中では、  2024年5月、わたしは、長崎原爆忌平和祈念退会の横山哲夫さんに再び、お話を伺った。横山さんは大会の前会長。A4サイズで四〇〇ページを超える「原爆俳句 1954~2020 長崎原爆忌平和祈念俳句大会全作品」を編集した責任者である。 (中略)    八月の隙 (すき) を窺 (うかが) っている戦争  横山哲夫さんの俳句歴は七五年に及ぶ。原爆投下から五年後に始めた俳句は、原爆の傷痕が生々しい。長崎の風景、丸木位里・赤松俊子の原爆の図、遺骨の収集、毎年行われる8月9日の長崎原爆の日の式典、そして原発事故、戦争にひたひたと近づく日本の現状まで、核や戦争をめぐる現代史の様相を呈する。 (中略)  横山さんに好きな俳人はどなたですかと尋ねた。高屋窓秋です。即答だ...

安里琉太「父謹製殺鼠団子や芝青む」(「滸」6号)・・

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 「滸」6号(編集 安里琉太・高良真実)、特集は「滸に望むこと」、執筆陣は名嘉真恵美子「『滸』を読んで」、岩田奎「滸に望むこと」、柳元佑太「北海道からの私信として」、高良勉「称讃と疑問」、新城郁夫「『滸』についての雑感」、「滸」編集部(安里・高良)「同人より」。その中で高良勉は、 (前略) 私は、若い安里や高良が、まさか旧かな遣い混じりの表現をするとは、予想できませでした。 (中略・以下、人名のカッコ内は愚生が補足)   私は、玉城 (洋子) 、名嘉真 (恵美子) はこれからの琉球短歌界のリーダーとして期待しています。ただし、私は、玉城、名嘉真の短歌にある旧かな遣いによる表現に抵抗を感じ、評価できません。作品の中に、旧かな遣いの表現の混入に出会うと嫌で、読み進めなくなります。玉城、名嘉真には、止めて欲しいと願っています。  ところで、玉城や名嘉真よりもさらに若い琉太や真実が、旧かな遣い混じりの作品を書いているのです。何故でしょうか。それが「滸」を読んでの最大の疑問でした。そこで、私は自分がなぜ旧かな遣いに抵抗を感じ、低く評価するのか、自問自答してみました。  まず、第一に、旧かな遣いは文語体を連想させるからです。そして、私は文語体が生理的に嫌いです。文語体は、平安朝文化・文学から続く日本の伝統的感性や天皇制文化の影響下にある文学を連想させます。山之口貘さんも詩「天から降りてきた言葉」で、「なりにけりとか/たりとかを/日常語にまでその文語体らを」、文語体への距離感を表現しています。また、貘の親友・金子光晴も「文語とはまったく縁のない新しい日本語の語感は、貘さんの詩あたりからと、僕は考える」(『山之口貘詩集』解説 彌生書房)と高く評価しています。  とあった。興味を持たれた方は、直接、本誌にあたられたい。ともあれ、本誌本号より、いくつかの作品を挙げておこう(詩篇は除く)。    春風の階段うらは水あかり          安里琉太    鈴蘭が揺れる視力になつていた       酢橘とおる    すずらんが咲かば天使に持たせたし。天使に会はず花は花壇に     高良真実    ぬばたまの珈琲に垂らすフレッシュの渦が朝に、われに、まつわる  屋良健一郎            撮影・芽夢野うのき「冬薔薇はすべてが雫溺れそう」↑

黒岩徳将「凍星や目を潰したき誤植あり」(詩誌「Unedited(アンエディテッド)」Vol.12より)・・

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   2月11日午後より、府中にて、黒岩徳将と田中惣一郎が現代俳句協会青年部の集まりに、愚生を招いてくれる企画があるらしく、その打ち合わせをした。日時は、まだ未定だが(会場の手配などで)、たぶん4月5日(土)か12日(土)になる予定である。内容については、愚生に対する質問事項などを纏めて、連絡をくれるそうである。帰り際に、黒岩徳将が寄稿した詩誌「Unedited(アンエディテッド)」(東京未編集室)第12号と、田中惣一郎の「1の1頁」(1の1)をいただいたので、その作品のなかから、いくつかを挙げておきたい。              左・田中惣一郎 右・黒岩徳将    水煙草いつか水鳥迎へ容れ          田中惣一郎「途上」より    冬の日の水煙草にも水鏡   むかついて寒くて馬鹿で泣きさうで   二日はや火が乗るスティミュレ―ションか   ストーブの湯気とシーシャの爆煙と   ミサンガのタトゥ―小春の足首に       黒岩徳将「居た」より    虎白し己が白息に汚れず   ペーチカが鳴る鼻歌はコロブチカ   冬麗のキャラメル口に膨らめり     撮影・中西ひろ美「雲は春地は北寄りの風強(こわ)し」↑

林誠司「春の雪ときをり胸をゑぐりけり」(『海光』)・・

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  林誠司第3句集『海光』(俳句アトラス)、帯文は村上鞆彦、それには、   海への尽きせぬ愛着を、海が確かに受けとめてくれているという手応え。  句集名に「海光」を選んだのは、そんな自負の表れではないか。雄々しく、それでいて稚気を失わない純真な詩心の貫流した一冊である。  とある。集名に因む句は、    海の日やただよへるものみな光       誠司  ではなかろうか。また、著者「あとがき」には、  第二句集『退屈王』を刊行してから十数年が経った。第二句集の後半で旅吟の楽しさ、その大きな詩の世界を知り、旅に暮らした松尾芭蕉への憧れが急激に強くなった。「東海道の一筋もしらぬ人、風雅に覚束なし」(『三冊子』)という彼の言葉を杖に東海道を歩き、中仙道を歩き、『おくのほそ道』の道中を自分の脚で少しずつ歩き続けて来た。そこで共感したのは「不易流行」「万物流転」「雪月花」の思想である。「雪月花」は四季折々の美しさという意味だけでなく、美しい四季の風景との出会いを通して生まれる“人恋い““人なつかしさ“の思いである。 (中略)  短いからこそ壮大な詩の世界、詩の宇宙を表現する、それもまた俳句の醍醐味と言える。もちろん俳句は俗の文学、生活の文学でもあり、身辺詠もまた魅力である。ただ、私自身は今、たった十七文字でどこまで大きな世界を表現できるだろうか、ということに興味がある。  とあった。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。      叔父を悼む    夏雲や元過激派の荼毘けむり   おほかたの古墳あらつぽ稲穂風   失ひしものも浮かべし柚子湯かな   荻窪に月さしわたり秋燕忌   干鮭やはじめきらめく海の雪   出航の小さき虹を手ばなさず   舟施餓鬼銀河の続くばかりなり       Sさんを悼む〈青岬立ちて地球の外にをり〉の句あり   君ゆきて海の青さの濃竜胆       横須賀港   霧青しかつて米軍倶楽部跡   短日やもらひそこねしあぶく銭   年の瀬やセコム貼りたる駐在所   「んだんだ」のあと大笑ひ鮑海女   うみがめや海の底にも地平線   林誠司(はやし・せいじ) 1965年、東京都荒川区生まれ。         撮影・鈴木純一「信心のなくて春立つ白い飯」↑

山中千瀬「(雨は?)雨は、降ってた。(傘は?)ささんかった。/この世の語彙で言えばそれだけ。」(『はじめての近現代短歌史』より)・・

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   高良真実著『はじめての近現代短歌史』(草思社)、その「はじめに」に、 (前略) 短歌が好きなら、短歌の歴史もお勉強しておkじゃなくてはならない。そういう気持ちで「短歌史」の本と名のつく本を開き、挫折した経験がある方は少なくないでしょう。  本書は、これまで多大な気力と体力とお金を投じて学んでいくものであった短歌史を、できるだけわかりやすく、簡潔に伝えることを目的としています。  第一部では、近年の短歌から次第に過去にさかのぼり、時代ごとの短歌の世界を垣間見ていきます。第二部では、近代短歌のはじめから時代ごとのトピックを取り出して、当時の短歌の世界でどんな議論がされていたかを解きほぐしていきます。  とあり、「あとがき」には、 (前略) まず文学は基本的に権威主義です。どれを良い作品とするか。提示された作品を良いのもだと受けいれるときに、私は権威に服することになります。この権威性を廃して文学評論は成り立ちません。 (中略)   結果として本書の大分部分は、エリート歌人の作品を引き、かつ男性中心の歴史をなぞる結果になりました。私が死んだ男の歌人ばかり好きになっているのも影響しているでしょう。その価値判断の基準には、、きっとこれまでの(男性中心の)短歌史が影響しています。  本書の冒頭で、私は短歌史が秀歌の累積であることを示しました。これは二〇二二年に逝去された短歌史家である篠弘が評論中心の短歌史を提示していることを踏まえつつ、評論に記録される以外の場所で秀歌として知られている女性歌人の作品も歴史記述に取り込むための手法です。秀歌として知られる過程が明らかになっていない歌をどのように短歌史内で意味づけるかに際しては、その過程への想像力が問われます。こうした語りの想像力を、師であるヤン先生は歴史的想像力(historical imagination)と呼んでいました。   とあたった。本書中、とりわけ、第7章「テン年代以降の短歌」については、何も知らない、そうゼロ年代の短歌もそうであった。いわば,フルイ人間だ、ということを思い知らされた。ともあれ、以下に、本書中より、愚生にとってはいささか驚きを禁じ得ない歌を、いくつか挙げておきたい(愚生自身のために)。   そりゃ男はえらいよ三〇〇メートルも高さがあるし赤くひかって     平岡直子   ともだちを旧姓で呼ぶ...

加藤知子「花びらをつつむ虚空という男」(「現代俳句」2025年2月号より)・・

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 「現代俳句」2月号(現代俳句協会)、ブログタイトルにした、加藤知子「花びらをつつむ虚空という男」の句は、「現代俳句時評/ヘビメタからバラッドへ~竹岡一郎最期の七句」の末尾に添えられた句である。昨年急逝した竹岡一郎が「俳句新空間」2024年7月26日に掲載された7句を評したもので、追悼文めいた時評である。その竹岡一郎について、  (前略・2024年) 六月二十一日深夜、急性大動脈解離にて急逝。享年六十歳。一九六三年生。一九九二年から「鷹」所属。二〇一九年から「We」同人ともなる。「摂津幸彦、その戦争詠詠の二重性」で第三十四回現代俳句協会評論賞受賞。若手からベテラン俳人までの、数多い俳句評論を手掛けた。二〇〇七年頃には大阪文学学校にも籍を置いていて、筆名「竹井律生」で「金剛鈴」等の小説を発表。NHK梅田教室の俳句講師。句集に『蜂の巣マシンガン』、『ふるさとのはつこひ』、「けものの苗」。  と記してあった。また、本号には、第61回現代俳句全国大会報告関連記事、坪内稔典「第六十一回現代俳句全国大会 講演『俳句の未来--作者から表現へ』の講演録。その他の論考に、林桂「『春夏秋冬』ーー鶏頭黒く菊白し」、小野芳美「横山白虹と松本清張 第5回・完」、黒岩徳将「一句誕生の現場ー指が指に逢ふ新涼のバケツリレー」など、興味深い記事満載。ともあれ、以下に本号中のいくつかの句を以下に挙げておこう。    煙茸寺山修司より訛る          武田伸一    谷に雪己を量りつつ沈む         対馬康子    直線は雪の傾斜を呼んでをり       星野高士    探査機の命短し寒の月          星野 愛    塩竈の胸突き坂や冬紅葉        土見敬志郎   かりそめのバレンタインの日の長さ   武馬久仁裕    海原へ続く葬列陽炎へり         白石司子    冬も飛ぶ蠛蠓人はただ迷いひ       伊藤政美   龍天に潜む戦車を遥かにし        山﨑十生    にんげんの八月にある揮発性       山本敏倖     春隣原子力緊急事態宣言         赤野四羽    冬花火思想に手錠痕がある        土井探花    光らざる偏や旁や蟇           長田志貫    秋蝶のしろさの狂ふ水場かな       早田駒斗    綿虫や素描...

なつはづき「寒北斗明日を諦めきれぬ指」(「なごや出版情報」第13号より)・・

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 「なごや出版情報」第13号、ブログタイトルにした、なつはづき「寒北斗明日を諦めきれぬ指」の句は、黎明書房のページ・武馬久仁裕の「気ままに俳句④/私の俳句日記」から。「なごや出版情報」は「東海でがんばる出版社あつまれ!」と表紙にあるように名古屋を中心とした11社が出しているフリーペーパー。本号は、愚生にとっては、かつて書店労働者としての仲間であり、愚生が「俳句空間」を編集していた頃は、販売面で随分とお世話になった、ちくさ正文館のカリスマ書店員だった古田一晴さんの追悼文につきる。  ゆぽおとの山本直子氏は、 (前略) 古田さんは書店勤めでなくなってからも、お忙しそうだった。どうやら書店員以外でにやりたいことがたくさんあった様子。そんな古田さんと少しゆっくり話ができたのは、二〇二四年四月十日のこと。 (中略)  そして、十月十日、古田さんは脳腫瘍で旅立ってしまった。七十二歳だった。 とあった。 昨年のことである。愚生より三歳若い。早すぎるじゃないか。ご冥福を祈る! ★閑話休題・・読者の皆様へ(「図書新聞」3675号・2025年2月15日)編集部・・  図書新聞は今年に入って、通常の紙面を8面から6面に落としていた。2年ほど前に亡くなられた前社長の井出彰さんには、何かと世話になっていたので、親しみある書評紙である。武久出版に母体が移ってからも苦しい経営が続いていたのだろう。とはいえ、「読者の皆さまへ」が掲載され、驚いた。それには、  (前略) 昨年に創刊75周年を迎えた本紙ですが、徒手空拳、いよいよ存続の危機にあります。活字文化に培われた言葉を拠りどころに、ポスト真実の趨勢に抗い、歴史に培われた出版と精神文化のゆたかさを紙面に載せて、書物批評を持続すべくいっそうの充実に努めます。皆さまのご理解とご支援をお願いいたします。 (中略)   螳螂の斧、非力で力及ばずではありますが、「ほんとうのさいわい」を最後まで問い続けたいと考えます。   もはや本紙に残された時間はあまりないかもしれませんが、他にはない紙面を新たに生まれる一冊一冊の書物を大切にする読者の皆さまに、誠心誠意お届けしてまいります。  とあった。          撮影・鈴木純一「忘れるか                  生きるか                  死ぬのが先か」↑