山中千瀬「(雨は?)雨は、降ってた。(傘は?)ささんかった。/この世の語彙で言えばそれだけ。」(『はじめての近現代短歌史』より)・・

 

 高良真実著『はじめての近現代短歌史』(草思社)、その「はじめに」に、


(前略)短歌が好きなら、短歌の歴史もお勉強しておkじゃなくてはならない。そういう気持ちで「短歌史」の本と名のつく本を開き、挫折した経験がある方は少なくないでしょう。

 本書は、これまで多大な気力と体力とお金を投じて学んでいくものであった短歌史を、できるだけわかりやすく、簡潔に伝えることを目的としています。

 第一部では、近年の短歌から次第に過去にさかのぼり、時代ごとの短歌の世界を垣間見ていきます。第二部では、近代短歌のはじめから時代ごとのトピックを取り出して、当時の短歌の世界でどんな議論がされていたかを解きほぐしていきます。


 とあり、「あとがき」には、


(前略)まず文学は基本的に権威主義です。どれを良い作品とするか。提示された作品を良いのもだと受けいれるときに、私は権威に服することになります。この権威性を廃して文学評論は成り立ちません。(中略)

 結果として本書の大分部分は、エリート歌人の作品を引き、かつ男性中心の歴史をなぞる結果になりました。私が死んだ男の歌人ばかり好きになっているのも影響しているでしょう。その価値判断の基準には、、きっとこれまでの(男性中心の)短歌史が影響しています。

 本書の冒頭で、私は短歌史が秀歌の累積であることを示しました。これは二〇二二年に逝去された短歌史家である篠弘が評論中心の短歌史を提示していることを踏まえつつ、評論に記録される以外の場所で秀歌として知られている女性歌人の作品も歴史記述に取り込むための手法です。秀歌として知られる過程が明らかになっていない歌をどのように短歌史内で意味づけるかに際しては、その過程への想像力が問われます。こうした語りの想像力を、師であるヤン先生は歴史的想像力(historical imagination)と呼んでいました。


 とあたった。本書中、とりわけ、第7章「テン年代以降の短歌」については、何も知らない、そうゼロ年代の短歌もそうであった。いわば,フルイ人間だ、ということを思い知らされた。ともあれ、以下に、本書中より、愚生にとってはいささか驚きを禁じ得ない歌を、いくつか挙げておきたい(愚生自身のために)。


 そりゃ男はえらいよ三〇〇メートルも高さがあるし赤くひかって    平岡直子

 ともだちを旧姓で呼ぶともだちがちゃんと振り返る 蚊だよ     北山あさひ

 ・と・に創造(つくり)たまへり―ーと聞きしかどそのいづれにも遇ひしことなし

                                  川野芽生

 顔を洗えば水はわたしを彫りおこすそのことだけがするどかった秋の  大森静佳

   生きているだけで三万五千ポイント!!!!!!!!!笑うと!!!!!!!!!!!! 

 ユリイカ あなただった 浴槽で目覚めたときにすべてわかった    石井僚一

 はつなつのつんとピアノに立つゆびは、ゆびだけは美化してもいいから 笠木 拓

 わたしのした便のほのかなぬくもりがいつかは衆生(たみ)を救ふやらうか

                                  吉岡太郎

 水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水       服部真里子

 そのときに付き合ってた子が今のIR奈良駅なんですけどね       伊舎堂仁

 煮えたぎる鍋を見すえて だいじょうぶ これは永遠でないほうの火  井上法子

 猫のくせに、野良の雄猫のくせに、一度はを撫でてやっただけなのにセックスしながらあの猫、俺に挨拶しやがった                      しんくわ

 風という名前をつけてあげました それから彼を見ないのですが    笠井宏之


高良真実(たから・まみ) 1997年、沖縄県生まれ。



 ★閑話休題・・枡野浩一「毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである」(本屋さんで笑おう!丑みつどどき/歌人裁判~第4回・最終回:於・今野書店)・・


  2月9日(日)16時半~、「本屋さんで笑おう!丑みつどき歌人裁判:枡野浩一企画ライブ」(於・今野書店)に出掛けた。そこで、宣伝されていた「BRUTUS」NO、1024(マガジンハウス)の特集「伝える力。」も今野書店で求めた。その中に、


 短歌は、生きづらさを抱えた者の味方--歌人の桝野浩一さんはそう語る。桝野さんの口語短歌は「かんたん短歌」とも呼ばれ、現在の短歌ブームの礎になった。令和に入って短歌がますます盛んになっているのは、現代社会の息苦しさに理由があるという。


 とあった。


 いつ死ぬかわからないのにどうやって海へ行く日を決めるのだろう   pha(ふぁ)

  たった今、今のいままで持っていたペンをどこかになくしてしまう    工藤吉生

 くるぶしを波にまかせている夢の浜はあなたと来たことがない      山階 基

 がんばっていれば誰かが見てるって言ったねきみじゃないってことね   脇川飛鳥

 生活はそんなに上手じゃない/短い橋を渡って帰る           加藤千恵


枡野浩一(ますの・こういち) 1968年、東京都生まれ。



 撮影・芽夢野うのき「ヒヤシンスさっきまでそこにいたではないか」↑

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