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和田ゑみこ「耳といふ深き闇へと木の実落つ」(『流灯』)・・

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 和田ゑみこ第三句集『流灯』(角川書店)、帯文は、たかはしさよこ、それには、     おほぞらをもたげてゐたりふきのたう  時を得た蕗の薹が頭をだす。春の到来である。  土を割って出て来た様子をちょっと大袈裟に表現しているところに、  蕗の薹以上に春を待っていた作者の高揚が感じられる。  とあり、また、著者「あとがき」には、 (前略) はじめての雪闇に降り闇にやむ   野澤節子     激浪の渦の一花の白牡丹      きくちつねこ     遠き灯は秘仏のごとし青葉木菟   和田耕三郎  これらの句に甚く感動し、句が大好きな多くの方のやさしさに扶けられながらの歳月は、有難く幸せでした。「OPUS」の和田耕三郎代表をはじめ、若くして入俳された諸先輩のご指導に恵まれ感謝と共に、これからも影響を受けて参りたいと思うばかり。   とあった。集名に因む句は、   流灯の遠ざかりつつ星座なす      ゑみこ  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。    継ぎ接ぎの縄文土器や鳥渡る   初電車膝に日ざしを載せてをり   瘋癲の大きな鞄のぼる蟻   消印の銀座を濡らす驟雨かな   来いの手を来るなと返し盆踊   枝豆や飲まざる祖父へ飲む父へ   太陽へ跳んでゆきたり雪うさぎ   蒲公英の絮のふしぎを吹きにけり   亡き人と徂春の海を見てゐたり   葭切や黙つて兄に付いてゆき   墨薄く磨りゐて虎が涙雨   水戸学のみち秋薔薇のまくれなゐ   野の墓へ風の野菊を手折りけり   したためる謝辞へひとすぢ木の葉髪  和田ゑみこ(わだ・えみこ) 1954年、茨城県生まれ。 ★閑話休題・・「空の発見」(於:渋谷区立松濤美術館・後期10月16日~11月10日)・・  「空の発見」(於:渋谷区立松濤美術館)後期は10月16日(水)~11月10日(日)。高校生と60歳以上の入館料は500円。愚生は、前期終了日に行った。香月泰男の一点「青の太陽」があったから。他にも、岸田劉生、萬鉄五郎、高橋由一や現代の映像や写真もあった。  昔、高屋窓秋のお気に入りの美術館が松濤美術館だった。当時は、二階では、大きいソファーに腰掛けて、お茶も飲めたし、軽い食事もできた。こじんまりだが、ゆったりできた空間だった。その名残に、今でも大きなソファーが中央にあって、ゆっくり絵...

嵯峨根鈴子「いれものがないたましひをつるしおく」(『ちはやぶるう』)・・

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  嵯峨根鈴子第四句集『ちはやぶるう』(青磁社)、著者「あとがき」に、 『ちはやぶるう』は『コント鳴く』『ファウルボール』『ラストシーン』に続く第四句集となります。 (中略)   私的には母の死や、夫と私自身の度重なる病など現実を受け入れるまでにはかなりの時間を要しました。いざという時、なんの役にも立たない俳句はちょっと横に措いてというスタンスで生活をしているつもりでしたが、理不尽な現実に対する憤怒の矛先をどこへ向けるべきか分からぬまま、ハイクを書き付けておりました。 (中略) ところが、句集のための選句をしていて、自句が今の私に寄り添い、私は私自身の俳句によって癒されていることに気づきました。  今思い返すと、私は作句することそのことによって充分に生かされていたのではないかと思えるのです。  とあった。集名に因む句は、    いてふちるちはやぶるうのやまひかな      鈴子  であろう。ともあれ、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。    底紅にひとひの暮色はじまれり   戦争の現在形に石榴裂け   梅擬触れなばしづくすることば   白菜に花の記憶はないやうだ   次の手ではなく懐手   上流はしぐれてをらむしじみ汁   糸切歯あるてふ古き女雛かな   底なしに紙をかぶせて去年今年   触れると傷む桃と知りつつふれあひぬ   蝉時雨笑はぬ石を選ぶ仕事   嵯峨根鈴子(さがね・すずこ) 1949年、岡山県生まれ。 河口聖↑  ★閑話休題・・河口聖・「第50回・美術の祭典 記念展/東京展」(於:東京都美術館・10月14日まで)&「田中一村展」(於:東京都美術館~12月1日まで)・・  「第50回・美術の祭典 記念展/東京展」(於:東京都美術館・10月14日までに)の「東京展EYESファイナル~」に選出され、出品している河口聖の大作5点(Blue Moon)があるというので観に行った。せっかくだから、隣で開催している「田中一村展」も観て来た。            撮影・芽夢野うのき「野の風に野の花野川秋の風」↑

大井恒行「現代俳句協会は、俳句ユネスコ無形文化財遺産登録推進協議会から離脱せよ」(「俳壇」11月号より)・・

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「俳壇」11月号(本阿弥書店)、愚生担当では、今年最後の「俳壇時評」で「 現代俳句協会は、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会かあら離脱せよ 」を寄稿した。     本誌五月号において、ボクは「建前に雪崩れる四協会」と題して、俳句ユネスコ無形文化遺産への登録運動に疑問を呈した。珍しくいくつかの反響があり、直接、意見を言って下さる方々がおられたのは、ボクの意見があながち無謀な言い掛かりではなかったようだ。   と記して、思うところを率直に書いたので、興味を持たれた方は、直接本誌に当たられたい。本誌本号の特集は「歳時記の世界」で、石寒太「歳時記の曲がり角」、山田閏子「実作者のために歳時記」、橋本直「大歳時記試論ー改造社『俳諧歳時記』について」、照井翠「立てられた『柱』、堀田季何「海外の歳時記について」、堀切克洋「歳時記のない世界から」、大西朋「未来を築くー結社の歳時記。季題別俳句集」、エッセイの「私と歳時記」に岩永はるみ「新幹線の愛読書」、野ざらし延男「忌日季語への異議」、今井肖子「読み物としても」、福田若之「季題と歳時記」を執筆している。巻頭エッセイは林桂「俳枕としての群馬ー『群馬百人一句α』まで」。ともあれ、本号の以下に目に付いた句をいくつか挙げておこう。    仮の世を刻みし句碑や星流る            河村正浩    亡き人とふたり暮らしの草津月           西村和子    浦島に似たる鵜匠の捌きやう            森岡正作    空鳴らす濤の高さや烏瓜             長島衣伊子     襖入れ母に暗がり生まれけり            藤田直子    露草の歩くと咲いてゐる忌日            茅根知子    ロープウェイの角度炎天見る角度         佐怒賀直美    透析の血の代はりゆく冬ぬくし          石井いさお    円盤の枯野はつかに浮き上がる           岡野泰輔    月見舟蓮葉の闇を引きかへし            宇野恭子   スポーツの日の鴨川のヌートリア          杉浦圭祐    塔の影置く惜秋の水鏡              古賀しぐれ    正倉院曝涼奈良町のいけず石            西谷剛周    蘆の花一つ起きなほれば次も           対中...

鶴田静枝「こびと吹くラッパ聞こえし星月夜」(『花林檎』)・・

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  昨日の「朱夏」30周年つながりで、鶴田静枝第二句集『花林檎』(草土社)、解説は酒井弘司「あらたな地平へ」、その中に、  (前略) 句集名は、集中の一句、    見てねには見たよと返す花林檎  から採られたもの。  鶴田さんからぼ私信では、「青森で見た林檎の花が可愛かったので」とあった。  この句は二通りの読み方ができる。一つは、眼前の林檎の花から「わたしを見てね」と声をかけられ、即座に「見たよ」と返事を返したという意。もう一つは身近な人、娘さんであろうか。電話で「いま、林檎の花がきれいだから見て」と言われ、「見たよ」と返した返事。  青森県でも弘前市の周辺は林檎畑が多い。薄紅色のそそとした林檎の花は、どこか清楚で可愛らしい。  とあり、著者「あとがき」には、  (前略)また、句集『花林檎』の章題は、我が家の庭の愛着ある草木の名にしました。越して来てより数十年、庭の草花は自由に居場所を移動したり、鳥や風が種を運んで来たのか新たな花が咲いたり、絶えたり、……草木自ら我が家の庭を造ってくれています。山桜だけが、隣家の庭のものです。相模川を挟んで立つ山には、緑樹に混じり所々ふあっと薄ピンク色の山桜が見えて、それは「まんが日本昔ばなし」のようで、心洗われます。  とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。       朱夏同人代表 川嶋隆史さん 追悼     見てゐますか冬の螢のひかり方            静枝     竜巻通り過ぎ開戦日近し    五能線夏の終りを走りけり    寒昴戦火の涙みえますか    「朱夏」百七十号より海鳴りして九月    道よ 照らして遠き烏瓜    冬来る犇めくライブハウスの灯    生まれ来しものみな奇跡去年今年       「一(いち)よし」…輪島朝市輪島塗店    「一よし」の母さん無事か春寒し     明日葉は明日も生 (な) る生りいとまなし  鶴田静枝(つるた・しずえ) 1961年、横浜市生まれ。 ★閑話休題・・北村宗介展「風の記憶」(於:GALLERY HIPPO・10月13日、17時まで)・・   秋晴れの千駄ヶ谷駅から徒歩8分のところ、地図を読めない男の愚生は、鳩森神社の周辺を、お蔭で色々な所を散歩することが出来た。  愚生のかつての句集名は『風の銀漢』だったが、こちらは「風の記憶」で...

酒井弘司「水は詩神十月の水透きとおり」(『朱夏俳句選集Ⅲ』より)・・

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               「朱夏」主宰・酒井弘司↑   10月11日(金)午後、「朱夏 創刊30周年祝賀会」(於:ホテル町田ヴィラ)に出かけた。旧知の方々にも会えた。来賓のスピーチは、赤塚一犀・筑紫磐井・八木幹夫・土肥あき子・中上哲夫・内野修・工藤正秀各氏。午前中には酒井弘司主宰講演「人間探求派の系譜ー金子兜太、森澄雄さん」があったらしい。聞きたかったなぁ。祝賀会の土産に酒井弘司著『蜩谷山房雑記 春のことぶれ」(高遠書房)と『朱夏俳句選集Ⅲ』(草土社)をいただいた。  『蜩谷山房記 春のことぶれ』は、「朱夏」誌に『蜩谷山房記」として連載されたものと俳句総合誌「俳句あるふぁ」に連載したものを一本にまとめたもの。「1 谷戸の四季/Ⅱ 俳人・詩人想望/Ⅲ 旅の楽しみー佇みながら」の3章からなる。その中に、  (前略) 蜩が、早朝の薄明にも鳴くことを知った。  まだ、褥の中で、うとうととしていると、谷のほうから、  「カナカナカナ カナ」  と、繰り返し鳴いてくる。その声は、彼岸のほうから,聴こえてくる声のようである。  雨戸を開けると、やや大きく耳に入る。枕時計をみると、四時三十五分頃、この薄明の時間と、夕暮れの同じ薄暮に、蜩は鳴くのである。    かなかなを聴き薄明に手をのばす    弘司  こんな俳句をつくったのも、早朝の蜩に気づいた頃、手を伸ばして、蜩のひびきを受けとめた。その仕草である。  茅屋を「蜩谷 (ちょうこく) 山房」と呼ぶようになったのは、その頃からのことである。                          「朱夏」74号(平成19年8月)    とあった。にもかかわらず、愚生は、なぜか「蜩谷( ひぐらしたに )山房」と口遊み続けていたのである。   『朱夏俳句選集Ⅲ』には、酒井弘司の序がある。それには、   俳誌「朱夏」は、平成六年八月に創刊。今年で三十周年を迎えます。  創刊時から、「伝統を現代に生かし、俳句に『深さ』と『新しさ』を求める」という理念を掲げて、今日に至りました。  その間、現代俳句の今日を見据え、個性を尊重した作品活動を展開してきましたが、それは、言葉の表現者として、自己の俳句を見つめることを最優先にしたものでした。  この三十年、時代に向き合い、新風を目指してきたことを、忘れるわけにはいきません。  とあった。全員...

葛原妙子「水の音つねにきこゆる小卓に恍惚として乾酪(チーズ)黴びたり」(『野の骨を拾う日々の始まり』より)・・

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 魚住陽子短編集『野の骨を拾う日々の始まり』(駒草出版)、帯には、   野にさまよう/女の魂は還らず  芥川賞候補作の前後に書かれた鮮烈な詩的感性溢れる表題作他、  魚住陽子文学の情熱と気品と静けさが堪能できる短編集  とある。また、跋文とも言える三浦美恵子「同人誌時代の作品について」には、   一九八七年、同人仲間になった頃、魚住さんは十年くらい前に書いた詩のコピーを、私に手渡してこういった。「詩の枠に言葉が納まりきれなくなり、自然に散文へ移っていった」と。  コピーには「草の種族」と題された作品が三つあり、いずれの作品も言葉の鮮烈さが目を惹き痛々しいほどの若さにに充ち溢れていた。 (中略)   魚住さんは、父の不在による窮乏や孤立感を実体験していない。四人兄弟の末っ子らしく家族の溺愛、俳句に親しんでいた母の教養、四季折々の花々に彩られた東京郊外の豊かな自然等々に育まれて成長した。物怖じせず明るく闊達であり、軽妙な語り口で会話を弾ませ、そこに集う人々を笑いの渦へと巻きこんでいった。  現実の振舞いと内面は必ずしも一致しない。小説を志す者にとって、魂の空洞をどんな風に埋めていくか、その過程をどう表現するかは、大きな課題だが、魚住さんは独特のこだわりを鮮やかな手法で創り上げていった。 (中略)  作家デビューのこの時期に、腎臓病を患っていた魚住さんはついに人工透析に踏み切った。以来、腎臓移植、再び人工透析と、長く厳しい闘病生活が続いていった、そのなかにあっても小説を書き続け俳句を作った。やがて病状の悪化が目立つようになり、何度も入退院を繰り返し、家に戻ると決まって電話で報告してくれた。見舞いに行くと、顔色はまだ悪くても声だけは元気だった。  次の作品の構想や俳句が浮かび上がる瞬間をユーモラスに話し、「不思議ね、俳句なら点滴中でも十句はつくれる」と、笑った。  とあった。そして、加藤閑「あとがき」には、  (前略) 二〇二一年に魚住陽子が他界してはや三年が過ぎた。この間に『夢の家』を皮切りに四冊の遺稿小説集を駒草出版から上梓することができた。その書名と発行日を以下に挙げる。  夢の家 二〇二二年七月十日  坂を下りてくる人 二〇二三年八月二六日  半貴石の女たち 二〇二三年十二月二二日  五月の迷子 二〇二四年五月三一日  これに本書を加え、魚住陽子の未刊作品の刊行に一...

各務麗至「にんげんの死 百日の夜の月光は野のにほふ中すずしげに射す」(『風のすがた 今生 ラブソング いいよりの海』より)・・

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    各務麗至『風のすがた 今生 ラブソング いいよりの海』栞版(詭激時代社)、短歌「風のすがた」20首は、末尾の注に「 ステンドグラスの鳥籠 詭激時代 短歌 サンデー毎日 読売新聞 昭和五十年月日不詳~五十五年月日不詳/*27~32歳/風のすがた 青い鳥2 別名川島秀一郎で 二十首抄出編 令和六年九月―—かがわ文化芸術祭2024 高松市長賞」 とある。その中の五首を以下に、   癌と医師は言へり 物語りめきし母よわが肩に月かぶさりぬ        麗至   目とぢればちちと佇つまどあかねして森ひそかにて日のにほひたつ        理解なく立ち尽くすした風の道あざやかにしてコスモス曼陀羅  父は死にけり死ののちを死臭ひきずりゆくりなく睡る母のゑみ  ふるさとよ野づらを渡る鳥よああわれが損なひし父のかろさよ  俳句は「今生」と題して20句、それにも注がある。 「瀬戸大橋開通記念俳句大会 金子兜太選ーーはるのかはいしくづれをりしづかなり 大会賞 平成元年」/*41歳/21世紀の俳句はどうなるか 第六回現代俳句協会 青年部シンポジューム/略歴提言に添えた提出二十句 平成六年六月/*45歳/今生 との題名を付けて 青い鳥2 令和六年九月」   その俳句のうち5句を挙げておこう。  金泥経を出て凍蝶の吹かれけり          麗至   椿よりこぼれ椿にかへりゆく  放たれてより今生の青嵐  稲妻のいつしゆん夜の水いそぐ  なほ上へ虹の湾曲ついに見えず     「ラブソング」「いいよりこの海」は掌編小説。いずれも初出より改稿とある。「あとがき」とも言える「近況」には、  作文六十年にして香川の文芸「青い鳥」誌に同人参加することになった。同郷の篠永哲一先生の紹介で、「かがわ文化芸術祭」参加文芸誌―—新作でなくてもよいと言うこともあったり……、  私も、今春はじめ体力気力の限界か純文学熱が冷めてしまったそんな心境変化もあって、正字体旧漢字や歴史的仮名遣いで『みんなに分かるように書かないと』と近隣で言われてきた若い頃からの独善的?個人誌に、三橋敏雄先生や麻生知子の後の唯一の存在であっていただけた野口雅澄先生や今回の篠永先生の言で何ら拘ることがなくなり、単に「青い鳥」誌だけでなくいろいろ投稿応募することになった。  それというのも、いつも一人、一人冊子と書きますが、それ...