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杉田久女「冬の灯の消ゆるが如く兄逝けり」(坂本宮尾編『杉田久女全句集』より)・・

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  坂本宮尾編『杉田久女全句集』(角川ソフィア文庫)、帯の惹句に、   女性俳句の先駆者/初の全貌がここに  師・虚子による破門後、未発表の句も収録する決定版  とある。久女の随筆9編を収録。詳細な解説は坂本宮尾、他に、「杉田久女の十五句鑑賞」がある。その中から、二篇を紹介しておこう。     鯛を料るに俎せまき師走かな  「ホトトギス」大正六年一月号の台所雑詠欄に初入選した、俳人久女の出発点となった句である。台所雑詠欄は初心者でも気軽に句を楽しめるように、身近な台所周辺のものを課題とした女性専用の投句欄である。この句は「俎 (まないた)」 の題詠。料 (りょう) るは、料理するの意。俎が狭いと捉えたことで、逆に俎上 (そじょう) の鯛 (たい) の豪華さを浮かび上がらせている。立派な鯛を料理する場面から、師走の台所の活気が伝わってくる。前年秋に作句を始めたばかりの句であるが、その後の発展を期待させるみごとな出来映えである。    谺して山ほととぎすほしいまゝ  修験道の霊山、英彦山で得た久女の代表作。神域の静寂のなかで聞いたホトトギスの声に、久女は全身を揺さぶられるような感動を覚えた。打ち出しは力強い動詞によって音を描く。句の要となるのは下五「ほしいまゝ」で、この五文字を求めて久女は何度も英彦山に登った。句は自然を写すと同時に、翼をもつものの自由さに憧 (あこが) れながら、鳥の声に聞き惚 (ほ) れている作者の姿も浮かび上がらせる。久女の心はいつしか鳥と一体になり、思う存分に聖域を啼 (な) き渡っているのである。大自然とそこに佇む人間を描いて、句柄が大きく、格調が高い。昭和六年の虚子選の日本新名勝俳句で帝国風景賞金賞に入選した。  本書より、久女の句をいくつか挙げておこう。   花衣ぬぐやまつわる紐いろいろ (いろは踊り字)  久女    コレラ怖ぢ蚊帳吊りて喰ふ昼餉かな    仮名かきうみし子にそらまめをむかせけり   紫陽花に秋冷いたる信濃かな    羅 (うすもの) に衣 (そ) 通る月の肌かな   稲妻に水田はひろく湛へたる   走馬燈灯して売れりわれも買うふ   うち曇る空のいづこに星の戀   風に落つ楊貴妃桜房のまゝ    張りとほす女の意地や藍ゆかた  杉田久女(すぎた・ひさじょ)1980(明治23)年~1946(昭和21)年、鹿児島県生まれ。 ...

金子兜太「妻よまだ生きます武蔵野に稲妻」(「海原」第53号より)・・

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 「海原」第53号(海原発行所)、本号の特集は「第5回 海原金子兜太賞発表」。本賞に佐々木宏「渋い柿」、奨励賞に小西瞬夏「十指」、河西志帆「もずくの天ぷら」。それはそれで目出度いことだが、愚生には、岡崎万寿の新連載「俳人金子兜太の全人間論ノート(1)」である。何しろ、岡崎万寿(次の正月で94歳)での新連載で、兜太が98歳で亡くなっているのだから、岡崎万寿にとっても命懸け、退路なきの事業だと思い、それだけでも感動するのである。ちなみに、兜太最晩年の句を、孫引きすると、    白寿過ぎねば長寿にあらず初山河 (94歳)     兜太    オリオン出づ百歳までは唯の歳 (95歳)    妻よまだ生きます武蔵野に稲妻 (97歳)    かくも細かく科の花咲きわれは老いず (97歳)  である。その他の記事では、小野裕三「英国Haiku便り[in japan]「 先生、俳句で比喩を使ってもいいんですか? 」、じつは愚生も、むかし「俳句は比喩ではダメだ!一句が書かれたのちに、一句全体が比喩的に読まれるのはかまわないけど・・」と言われてきたクチである。そして、阿部鬼九男が最晩年、「重信はそう言っていたけど、でも結局比喩だよなぁ・・」と、ニヤッとされて呟かれたのを覚えている。ともあれ、「海原金子兜太賞」の受賞者の一人一句とお二人、ことごと句会の仲間の句を挙げておこう。    公僕でしたかなり渋い柿でした     佐々木宏(本賞)    手袋に入ればまぎれなき十指      小西瞬夏(奨励賞)    かでなふてんまもずく天ぷらは此処   河西志帆(奨励賞)    夢殿の合鍵合わず蛍狩         安西 篤    美しきもの見つ踊りの外にいて     武田伸一    夏の君うすむらさきの化粧水      武藤 幹  そういえば、らふ亜沙弥の訃報がもたらされた。ご冥福を祈る。合掌! ★閑話休題・・安西篤「三・一一添付ファイルが開かない」(「海程多摩」第22集より)・・  安西篤つながりで「海程多摩」第22集(発行人・安西篤)、特集に「追悼 伊藤雅彦」、追悼文は伊藤巌・竹田昭江・小松よしはる・野口佐稔。他に、「金子兜太研究会 論考」に、大髙宏允「兜太生きもの感覚と波動」と石橋いろり「秩父人・金子伊昔紅ー兜太産土の地の原風景」がある。ちなみに石橋いろりには、本稿の前に、「海原」...

小澤實「翁に問ふプルトニウムは花なるやと」(『澤』)・・・

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  小澤實第4句集『澤』(角川書店)、その「あとがき」に、 (前略) 本集の末尾近い平成二十三年は、東日本大震災のあった年だった。この年には福島第一原子力発電所の事故も発生して、都内で生活していたぼくにとっても、たいへん心細く感じられる日々が続いた。 (中略) 芭蕉の旅で訪ねた際、あたたかく迎えて下さった。みちのくのひと、そして風土が深く傷つけられたことは、忘れてはならないと思っている。  表題「澤」を用いた句は集中いくつかあるが、表題句とはしない。表題「澤」はぼくが主宰する俳句雑誌の誌名に拠る。「澤」創刊号(平成十二年四月号)から「誌名『澤』について」全文を引こう。   「澤」はしぶきを上げつつ天から地へ山中を流れ下る清冽な一筋の流れである。それはそのまま清新な俳句の比喩ともなろう。その一語に小澤實が生まれ育った信濃の山中、その青々とした風景も彷彿とするのである。  この文章に現在付け加えることはない。  とあった。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。    みしみしと増ゆる人類冴え返る          實    ケフチクタウケッシテ死ナナイデクダサイ      南都海龍王寺別称隅寺伝来   般若心経二百六十二字涼し      出雲   神在や晴よろこべる鳶鷗   かはぞこもかはらも石やあきのかぜ      眞鍋呉夫氏   黒のボルサリーノと杖と朧を来   即死以外は死者に数へず御柱      会津   少年を死なせし国やさるすべり   ふるさとは洟たらし父ゐるところ   立ち上がらずよ草に這ひ草を引き   メタミドホス・ジクロルボス・クロリピリホス黄砂降る   香水杓 (こうずいじゃく) にさしだす掌掌掌われの掌も      島本町に田中裕明ゆかりの藤寿司を訪ぬ。鱧のうきぶくろを笛と称すれば   鱧の笛鳴るべうもなし酒酌める  小澤實(おざわ・みのる) 昭和31年(一九五六)、長野市生まれ。    ★閑話休題・・大谷清・津のだとも子「VISION する・かたち」展・・  大谷清・津のだとも子「VISION する・かたち」展(於:アートスペース羅針盤)は、本日、11月11日(土)が最終日でなので、躊躇なく訪ねた。かつては両名とも、阿部完市の「現代定型詩の会」の重要メンバーにして、現在は、山梨県北杜市に居を移し、画家であり、...

井上治男「冬近し片脚の鳩寄り来たる」(第23回「きすげ句会」)・・

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  昨日、11月9日(木)午後一時半~は、第23回「きすげ句会」(於;府中市生涯学習センター)だった。兼題は「冬紅葉」。当日の句会風景は撮り忘れたので、先月の吟行句会の写真(撮影・清水正之)を使用した。以下に一人一句を挙げておこう。    背に龍をまとい跳ねるや七五三            高野芳一   気象変怒って泣いてこの地球 (ほし) も        清水正之    瘦熊の手足悴 (かじか) み籠りけり          井上治男    ふゆもみじ陽に散る散らぬふるてがみ         濱 筆治    溝走るアナログ音の針の音              杦森松一    「没一✖ (ばつ) 一」の女人 (ひと) 華やぎぬ冬紅葉  山川桂子    朽ちし枝仏像彫るは木枯らしか            寺地千穂    ずんぐりむっくり母に似し指冬紅葉         久保田和代    三人去りひとりが消えて冬の影            大井恒行      次回は12月21日(木)は、総会も予定されている。兼題は「師走」。 ★閑話休題・・森澤程「秋日傘耳石の動きゆく日かな」(「~ちょっと立ちどまって~2023.10」)・・  二人による、一か月一度の葉書通信である。もう一人の句を挙げておこう。    落花生茹でて含羞新たなる      津髙里永子        芽夢野うのき「みずいろは世の淵の色野菊佳し」↑

臼田亞浪「かつこうや何処までゆかば人に逢はむ」(『臼田亞浪の百句』より)・・

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  西池冬扇『臼田亞浪の百句』(ふらんす堂)、右ページに臼田亞浪の一句と左ページにその鑑賞というレイアウトは、他の百句シリーズと同様。巻末に、「臼田亞浪小論『まこと』の系譜」を収録されている。その中に、  (前略) 大正3年の「ホトトギス」に発表した「俳句に甦りて」では、河東碧梧桐の新傾向俳句に反対する一方で、高浜虚子の「主観平明主義」も「力の無い句」を生み出していると難じています。つまり両者の傾向に対し、自分が第三に道を歩むと宣言したのです。 (中略)  亞浪が多くの俳人を育てたこと、日本における文化の想念の一つ「まこと」の近代以降の提唱者であり、また「寂しさと旅」という日本近代の精神の一つを俳句で表現したという実績があるにもかかわらず、戦後から現代にいたるまで相応の評価を得ていないのはなぜでしょうか。この疑問は筑紫磐井氏もたびたび発言していますので門下生筋の私の贔屓故ではないと思います。  とある。鑑賞文の二例と、亞浪の句をいくつか以下に挙げておきたい。      冬木中一本道を通りけり      一九一五年                    (大正四年)     3月には「楠花」を創刊して「俳句は純正なる民族詩」と規定して3つの宣言を発表している。内容的にはホトトギス派と新傾向派の中間の位置を占めることを宣言したといってよい。①民族詩という既定のもとに内的に新生活から生まれる新生命を希求し、外的に季語と十七音の詩形とを肯定。②守旧的思想、党派的観念を打破し、虚妄なる非俳句的傾向を革正し疎懶なる遊技者流を警醒する。③門戸なく、師弟なし、創刊号の宣言にそのように述べられている。この句は亞浪が今後歩く道を象徴化したのだろう。     元朝の日がさす縁をふみありく    一九二七年                     (昭和二年)  新年の句をこのような日常の動作で示したところに亞なの面白さがある。大野林火はこの句は『俳句を求むる心』における亞浪の思想が具現化したものと説いている。平明さ、作者の日常生活を詠ったところを評したものであろう。『俳句を求むる心』で亜浪が述べた「私の俳句を求むる心は、第一義諦としての人間の完成へ!がそれである」などの言葉は弟子の大野林火でも観念臭が強く閉口していたと思う。だが、この頃の人間の日常の体温のある句が「まこと」の句と感得した...

望月士郎「福島県朧市朧町おぼろ」(『海市元町三ー一』)・・

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  望月士郎第一句集『海市元町三ー一』(文學の森)、句集は、装画ともに著者自装、多才の人なのかもしれない。跋文は宮崎斗士「『海市元町三ー一』に寄せて」、その中に、  (前略)  ヒロシマ以後ひとりに一つずつ玉繭  ヒロシマ暦2400000000秒間、日本人一人一人の「玉繭」が蔵してきたものは何だったのだろうか――。 ――とここまで書いてきた。だが、望月さんの俳句作家としての魅力、その異才ぶりはまだまだ語り尽くせていない。まだピースは十分に埋まっていない。つくづく私の力不足が惜しまれる。  あらためて、私なりにこの句集、作品群の読後感を一言で簡潔に表すならば、やはり「壮観」ということになるのだろう。「圧巻」と言い換えてもいい。まさに見渡す限りの絢爛かつ重厚たる作品世界。何度となく訪ねたくなる唯一無二の「となり町」ではある。  とある。そして、著者「略歴」のなかで「第2回攝津幸彦賞記念賞佳作受賞」とあったので、改めて当時の、「豈」55号(2013年10月)確認した。選考委員は愚生の他に、池田澄子、高山れおな、筑紫磐井。昨年発表した第7回までの攝津幸彦記念賞の歴史のなかでも、もっとも作品の質の高い激戦だったときであろう。正賞に花尻万博、準賞に小津夜景、鈴木瑞穂を選び、佳作に、佐藤成之、しなだしん、本句集名と同じ題で応募した望月士郎、そして山田露結、夏木久、山本敏倖を選び出している。その後も皆、俳壇で活躍している人ばかりだ。その時の選考評は、代表して池田澄子と高山れおなが執筆しているが、その評で、池田澄子は、「 掬はれて金魚の暮す池袋」「午睡する妻の長さのありにけり」 を記している。また、高山れおなは、  「海市元町三ー一」では、〈掬はれて金魚の暮す池袋〉〈甲虫ちひさき螺子を失へり〉などがよかった。ただ、サービス精神旺盛なのはいいが、やや浅いところで楽しみ過ぎかもしれない。  と苦言を呈している。当時の望月士郎の応募作品は旧仮名遣い。この批評は、本句集の作にも、当たらずとも遠からずの感なきにしもあらずで、ひたすら、今後の健吟に期待される一人ではあろう。著者「あとがき」の中に、  (前略) 椅子に坐りながら椅子ごと身体を宙に持ち上げること。つまり、言葉をもって言葉を越えること。  俳句という小さな器に容れると、言葉はひとりでに捩れ、ずれ、滲み、そして毀れます。詠みなが...

村林硯生子「向日葵や憩ふ工夫に日蔭なく」(『俳句の一欠片(ワンピース)』より)・・

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   林桂著『俳句の一欠片(ワンピース)』(ウエップ)、帯の惹句に「 近代俳句の黎明期から平成の時代まで、さまざまなエピソードが鏤められた14篇 」とある。また、著者「あとがき」の中に、   年々歳々評論の筆が重たくなるのは怠惰なゆえに外ならないが、一方資料の細部を掘り起こす楽しみは、歳を重ねて強くなってきている。 (中略) したがって、必ずしも評論らしいなにがしかの結論や提示もなく、資料紹介の範疇で終わってしまってもかまわないと思って書いたものである。そのとおりの文章なのだが、その細部を読むことで否応なく立ち上がってくる自分なりの読みに、心動かされずにはいられなかった。独りよがりのオタク読みと言われても仕方ないが、私個人の体験から言えば、資料が語りかけてくるのに耳を澄ました思いである。そして何より、その瞬間を楽しむことができたのは貴重な体験であった。   とある。目次を以下に挙げておくので、地味でほとんど忘れさられている俳人(当時は一世を風靡していたであろう)への言及など、興味ある方は是非手にとっていただきたい。林桂の発見したそれぞれのことが、じつに大切、かつ重要なことだと分かるに違いない。     しんしんと―― 『篠原鳳作全句文集』 /たらちねの母よ ――『片山桃史集』 /マルクスは偶像なりや―― 自筆草稿『渡辺白泉句集』 /朝虹―― 長谷川零余子と鈴木虎月 /些細な事柄―― 『癖三酔句集』 /破魔弓―― 闇討会の青春 /炉―― 昭和一〇年の永田耕衣から /三つの詞華集―― 昭和一五年前後 /消ゆることなき航跡―― 七冊の「旗艦」詞華集 /上州風物詩と多行形式―― 富澤赤黄男「戦中俳句日記」 /吹雪く芦―― 岩田雨谷『貧しき夕餐』 /ルビ俳句―― 河東碧梧桐と高柳重信の晩年 /堕天使におごとき焚火―― 阿部青鞋の視覚 /三橋敏雄―― 伝統と前衛を統ぶ者  例えば 「消ゆることなき航跡 ―― 七冊の『旗艦』詞華集 」の一部に、ブログタイトルにした句、 村林碩生子「向日葵や憩ふ工夫に日蔭なく」 と 村林秀郎「へやのもの白し潮の香ほのあをく」 について、  (前略) 京大俳句弾圧事件の密告者として三鬼が誤って擬せられたが、川名大がNの表記で論じ、『昭和俳句の検証』(笠間書院・平成27)で、実名を明かした、特高警察のへの協力者を疑われる人物である。村木秀郎、及...