各務麗至「風信子ことばあやふきあをさかな」(『天地抄』)・・


  各務麗至句集『天地抄』(詭激時代セレクション袖珍新書)、大河内昭爾芳翰からの献辞には、


 ——昔からの耽美の世界なつかしく拝読しております。/亡くなられたお仲間のお仕事を丹 念にたどられるやさしさにも/感銘をおぼえます。/御健筆を念じ上げます。


 とあり、巻尾の著者「覚書」には、


 小説の叙述の研究を示唆され行き着いたのがそれこそ俳句だった。

 私的には、平明は別にして俳句とは言わはずに言へる省略と豊穣を知つた始めての経験であつた。

 作句期間は、昭和五十年代の後半に始まり、平成十八年までの二十数年間。平成十六年に二百四十句の追悼句集「風に献ず」を編んだが、その後俳句の総まとめ的全句集との定本小冊子を出して、

 今回、やはり「風に献ず」は入集せず、独立した作品集をとの認識に立ち帰ることにした。(中略)

 句集名だが、/そこは、「風に献ず」前後でもあるが第二句集と称すことにして、先の全句集との命名「天地」を生かし「天地抄」とする。

 その間、盟友麻生知子の勧めもあつて、俳句関係への参加が暫く小説から離れた原因といへなくもないが、俳句経験の作風の変化は年を重ねただけではなささうである。

 俳句も亦、私を炙り出すに相応しい一篇の私小説であつた。


 と記されている。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するがいくつかの句を以下に挙げておこう。


  みづからかれゆくものをえごの花       麗至

  一朝あらば一夕あらば旅立てる

  高空の鳶二羽敏雄松雄と呼び

  木枯らしや孤児たるらむと告げて透く

  ももとせやももたび訪はな留守の梅

  長逝す畳の上のちりもみぢ

  坂東やしめればしまる男帯

  逆光のどこ掴んでも秋の風

  裏山は鬼のおとなふ桜かな

  母似ゐて父似数へる秋まつり

  永遠といふは壮絶ふぶきけり

  太陽の及ばぬさきの力かな

  春月や胎内そよぎゐたりけり

  月明に呼ばれて風の裏おもて

  半夏生死後こそ穢れなきと思ふ

  一会いま骨はゆたかに肉美し

  光さして山に谷ある齢かな

  凡百の耳埒もなし蚯蚓鳴く


 各務麗至(かがみ・れいじ) 1948年、香川県生まれ。



    
撮影・鈴木純一「永遠(トコシヘ)もやまない雨もないかしら」↑

            朝丘雪路  427  没(1935 2018

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