長岡裕一郎「ギリシャ悲劇の野外劇場雨となり美男美女美女美女美男たち」(『百人一首バトル』より)・・


  栗木京子・穂村弘・佐藤弓生・千葉聡・石川美南 編『百人一首バトル』(書肆侃侃房)、それぞれの編者の「おわりに」がある。栗木京子「マリアージュを越えて」、穂村弘「逃げ続ける夢」、佐藤弓生「個人のものはみんなのもの?」、石川美南「参加者、募集」、千葉聡「短歌なら届く」。ここでは千葉聡のものから、


 八十になった母を介護している。寝る前のひととき、僕は母に、小説を読み聞かせたり、昔のドラマを見せたりしてきた。最初のうちは喜んでくれた。だが、母はここ一年ほど、ぼんやりすることが増え、長いストーリーが理解できなくなった。反応も鈍くなり、やがてほとんどしゃべられなくなった。

 それでも、僕が「お母さん」と呼びかけると、分かったような顔をしてくれる。往診に来てくださるドクターによると「まだ耳はしっかりしている」らしい。(中略)

 息子が歌人になって以来、母は気に入った短歌を大判のノートに書き写していた。僕は、そのノートを探し出し、母の枕もとで、そこに書いてあった歌を朗読してみた。 

 母は久しぶりに「ああ」と言ってくれた。笑ってくれた。ああ、短歌なら届く。この『百人一首バトル』が出来上がったら、名歌中の名歌を、たくさん母に朗読してあげよう。


 とあった。ともあれ、本書より、愚生が出会ってきた方々のいくつかの短歌を以下に挙げておきたい。


 連山を持つ幸福を思わせて蛇笏あり龍太あり甲斐の国あり         三枝昂之

 啄木をころしし東京いまもなほヘリオトロープの花よりくらき       伊藤一彦

 病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ     河野裕子

 母を知らぬわれに母なき五十年湖(うみ)に降る雪ふりながら消ゆ     永田和宏 

 遺伝子配列三十億年対を読み終へてうつくしき水晶の夜がくる       小池 光

 産むならば世界を産めよものの芽の湧き立つ森のさみどりのなか      阿木津英

 ついに近江を見ざる歌人として果てんこの夕暮のメガロポリスに     藤原龍一郎

 もろともに秋の滑車に汲みあぐるよきことばよき昔の月夜(つくよ)    今野寿美

 そして秋 空もひとつの武蔵野に早馬(はゆま)のごとき風の音する   小島ゆかり 

 ものおもふひとひらに湖(うみ)たたへたる蔵王は千年なにもせぬなり   川野里子

 鵙の声が日暮を統べてことのほか名古屋の人は小さく群れる        荻原裕幸

 ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち。  穂村 弘

 淡雪にいたくすづもるわが家近く御所といふふかきふかき闇あり      林 和清

 好きだった世界をみんな連れてゆくあなたのカヌー燃えるみずうみ     東 直子

 花首より出でたる蟻を這はせたりいくたびもわが掌(て)ひるがへしつつ 横山未来子

 日の暮れは子供も不安になるものかタソガレーナちゃんと呼びて抱き上ぐ  永田 紅

 熱の児が眠りゆきつつしがみつくわれはいかなる渡海の筏         黒瀬珂瀾

 思うひとなければ雪はこんなにも空のとおくを見せて降るんだ       小島なお

 夕光る鏡の上のチョコレートのうすき歯のあと夏はきたりぬ        吉岡 実

 掌(て)のなかへ降(ふ)る精液の迅きかなアレキサンドリア種の曙に   岡井 隆

 夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん     馬場あき子

 電気釜湯気立てはじめ地下五十九階のわが家に朝がくる          松平修文

 催涙ガス避けんと密かに持ち来るレモンが胸で不意に匂えり       道浦母都子 

 警官は豚されど若き警官は猛き海豚(イルカ)かジャムプせよ死へ     石井辰彦

 きらきらと冬木伸びゆく夢にして太陽はひとり泪(なみだ)こぼしぬ    水原紫苑

 あるいは愛の詞(ことば)かもしれず篆刻のそこだけかすれゐたる墓碑銘  中山 明

 クリーニング屋の上に火星は燃ゆるなり彼方に母の眠りがみえし      正岡 豊

 ブライダル・ベールという名の植物を窓辺に吊す我が青春忌        俵 万智

 朝日撮りに出かけていったの、兄

  そういえばあなたも立ちあがる気配                  林あまり

 水の上(へ)に薔薇羽搏けよ、チェス盤の騎士は倒れよ、わが誕生日    喜多昭夫

 人間の言葉わからぬ日のありて秋グミの実は籠に透きたる         冬野 虹

 旅なんて死んでからでも行けるなり鯖街道に赤い月出る          吉川宏志

 さびしさに北限ありや六月のゆふべ歩けど歩けど暮れず          栗木京子

 壮大に吾の不在を咲かしめん太陽の前半生の五十億年          佐佐木幸綱

 穂波 このさきに心臓ひとつもなしと聴診器を胸から掴み去る       高柳蕗子

 押しひらくちから蕾に秘められて万の桜はふるえつつ咲く         松平盟子

 青春はみづきの下をかよふ風あるいは遠い線路のかがやき         高野公彦

 ひとつだけほんとの父を入れてあるマッチ箱からとりだすマッチ     土井礼一郎

 吊革にすがる角度に街並みが押し寄せ消えてホームに入る        髙橋みずほ

 わが内臓(わた)のうらがはまでを照らさむと電球涯なく呑みくだす夢   辰巳泰子

 マンホールの上を行くとき水音を聴きとめて「川なの?」と妻は訊きたり  桑原正紀

 ハッピーじゃないエンドでも面白い映画みたいに よい人生を       桝野浩一 

 


     撮影・鈴木純一「Ⅹ忌うぐひすもちにちょと噎せた」↑

              マルコムX  1965213日没

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