子伯「無限からすべてを落とす砂時計」(『無限から』)・・
子伯遺句集『無限から』(吟遊社)、序は夏石番矢「砂時計への道」、それには、
遺句集にたずさわるのは、やはりつらい。しかし、私の現況がどうあれ、完遂しなければならない。
この句集は本来、著者の子伯さんが存命中に出版されるはずだった。生前のニ〇二五年二月二十七日付けのメールで、子伯さんは『いのち』という題での出版を望むと知らせてきたが、私が頸椎症手術直後だったため、着手できなかった。
さらには、『いのち』という題では、子伯さんの俳句の固有性にふさわしくないと思っていた。
そうこうしているうちに、子伯さん他界の電話が、ご母堂の横山美代子さんからかかってきた。あまりのあっけなさに呆然とするしかなかった。(中略)
冒頭の「いのち」の章の俳句の配列を変え、他の章も含めて多すぎる句の数を減らし、重複句を削り、合計四二五句となった遺句集『無限から』は、二十一世紀前半に出版された日本俳句屈指の名句集であると断言できる。むろん、名句もいっぱいある。
とあり、ご母堂の「あとがきに代えて」には、
亡くなって、息子の存在が殆ど心を占め、生きる原動力だった事に気づく。自分の苦しみを抱えながら、「僕はうしろを振り向かない」「お母さんが安心するように一度は笑顔を見せる」「お母さんの子どもに生まれてきてよかった」と息子。私が「人にはなかなか受け入れてもらえない」と語った時、「僕はお母さんのすべてを受け入れるよ」と答えてくれた言葉を一生忘れる事ができない。宇宙のどこからか、私を助けるために選んで来てくれたとしか思いようがないほど、よく出来た子だった。その子を失ってしまった苦しみは、想像以上だった。ともに暮らした日々に、希望、光、幸せを感じさせてくれた。(中略)
文学や音楽などのジャンルに限らず際限もなく話をしたけれども、凝縮した言葉であらゆるものを表現できる俳句に、息子はかけがえのない時間すべてを注ぎこんだ。苦しみにつねに直面しながらも、人生の意味を問い続けて、句作に励み、頑張ってこれた。
息子が夏石番矢先生から教わったのは、俳句の壮大な広さに違いないと思う。息子が生きてきた証(あかし)は、この遺句集『無限から』に集約されている。息子の心を通して生きてきた私は、息子を失ってから、すべてに拒絶反応を示すようになってしまった。しかし、息子は生きている。この遺句集に収録された俳句それぞれの永遠の命の中に生きている。息子は多くの人に自分の俳句を詠んでもらうことを望んでいた。
とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。
草いきれ僕が地球にいる証 子伯
時をくれうさぎ追い抜く時をくれ
道化師の拭えぬなみだ雪となり
大戦のかえらぬ骨は息してる
始まりは光と音のマリアージュ
流れ星きみの弾かないセロがある
今日も晴れ。あじさいの痛み
砂漠に生まれた薔薇。化石となり眠れ
ミューズ応援してくれる私のミューズではないが
もう行け、ここは何もかも凍っちまった
絶叫する石ころ蝶となった
壊れてしまった夢に閉じもしないドア
進めない怠惰な犬は身を焦がす
鐘がなるあの世のどこかもしくは未来
虹が出たゴーシュがそらで狂い弾き
自死できぬ弱者は死刑に走り出す
最後にみた夢は最果ての蜃気楼
手術三度とリハビリ 半身喪失者となる
動けることの自由 漕ぐ漕ぐ漕ぐ
ぐるぐるのぐるぐるぐるのぐるのぐる
よきひとになりたし胸に鮫がいる
羽根を買うどこも飛べない空ばかり
母という絶海の孤島にしがみついてる私
あたたかき冬のなみだが拾えない
事故までが伝説となる音速忌
ほほえめり底なし沼の青りんご
ひび割れた笑顔。死ねないという牢獄
このいのち生きてはいけないものですか
子伯(しはく) 本名:横山健太郎 1970年~2025年3月22日。兵庫県西宮市生まれ。
撮影・芽夢野うのき「指先に紙だけのこし花火の夜」↑

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