山崎方代「力には力をもちてというような正しいことは通じないのよ」(「現代短歌」No,108より)・・

 「現代短歌」No,108(現代短歌社)、特集は「山崎方代 ドリル50題」。大下一真「方代短歌の非短歌性」の中に、


(前略)戦傷で右眼失明、左眼0.01で昭和二十一年に帰還した山崎方代は、「一路」に再び出詠を始めたが、宗匠主義の否定から若手が脱会、二十三年六月に「工人」が発足、方代も加わる。この頃からの無二の仲間が岡部桂一郎である。

 方代は当時、傷痍軍人教育による靴の修理に従事していた。

   ゆくところ迄ゆく覚悟あり夜おそくけものの皮にしめりをくるる(中略)

   欄外の人物として生きて来た 夏は酢蛸を召し上がれ

   丘の上を白いちょうちょうが何かしら手渡すために越えてゆきたり

 望郷、孤独などを通奏低音に置きながら、文語口語ないまぜ、換言すれば自在な話法で訴える。訴えるかと思うと、外しもする。「欄外の人物として生きて来た」と物語めいた言葉で始まって、「夏は酢蛸を召し上がれ」と、想外の取り合わせをして、方代がにんまりと笑っている気配がする。

 非短歌的なものの導入に、方代の面目を見る。(中略)最後に謎を言えば、方代は右左口(うばぐち)尋常高等小学校卒業、つまりは今日の中学校卒業が彼の学歴である。その方代が、文語体で難しい言葉も混じる鈴木信太郎訳のヴィヨンを読みこなし自家薬籠中のものにしたというのは謎で、奇跡的なように思われるのだが、どうだろうか。


 とあった。ともあれ、本誌中より、方代の歌をいくつか挙げておこう。


  生れは甲州鶯宿峠(おうしゅくとうげ)に立っているなんじゃもんじゃの股からですよ

  間引きそこねてうまれ来しかば人も呼ぶ死んでも生きても方代である

  首のない男が一人炎天のかげなき道を跨ぎ急げり

  ゆえしらぬ涙は下る朝の日が茶碗の中のめしを照せる

  寂しくてひとり笑えば卓袱台(ちゃぶだい)の上の茶碗が笑い出したり

  机の上に風呂敷包みが置いてある 風呂敷包みに過ぎなかったよ

  手のひらに豆腐をのせていそいそといつもの角を曲りて帰る

  こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり

  担(かつ)ぎだこ取れし今でももの見れば一度はかついでみたくなるのよ

  このようになまけていても人生にもっとも近く詩を書いている

  ふるさとの右左口郷(うばぐちむら)は骨壺の底にゆられてわがかえる村

  

 山崎方代(やまざき・ほうだい) 1914年11月1日~1985年8月19日、山梨県生まれ。  

 


      撮影・鈴木純一「予定調和

              どうせ何処にも行かないし」↑

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