山根摩耶「無意識に境界線を定めては私とあなたのにたとこさがし」(「江古田文学」第116号)・・
「江古田文学」第116号(江古田文学会)、特集は「境界から世界を見つめる」。インタビューに関野吉晴「現代文明の外と内 森羅万象における人間の存在」、論説に上田薫「境界=私という幻影―—依存関係によるい生成ということ―ー」、浅沼璞「俳句における季語の境界―—無季俳句からの照射」、小神野真弘「閾をまたぐことなく浮遊する」、佐藤述人「越境による境界」、香月孝史「『越境』という職能―—「アイドル」のわかりにくさについて』等。その中の浅沼璞は、
(前略)現に芭蕉が無季(雑)の発句として題詠を残しているのは「名所」に材をとった二句のみであった。
徒歩(かち)ならば杖つき坂を落馬(らくば)哉
「笈(おい)の小文(こぶみ)」(一六九〇年頃)
あさよさを誰(たれ)まつしまぞ片(かた)ごゝろ
「桃舐(ももねぶり)集」(一六九六年頃)
一句目は「杖つき」に杖突坂を、二句目は、「まつ」に松島を掛けており、俳諧らしく「名所」を詠み込んでいる。
これは憶測に過ぎないけれど、芭蕉がほかに無季のテーマ詠を発句に残さなかった理由の一つとして、連句の平句で存分に無季詠を成し得たという事があったかもしれない。(中略)
このほか無常や別離など、芭蕉連句に無季の題詠を探すに不自由はない。芭蕉が「発句も……無季の句のありたき」としながら、さほど雑の発句を残さなかったのは、やはり季語的境界のない自由な付句の世界に遊べたから、というのが要因の一つであったに違いない。(中略)
さて近代以降、季語的境界のない自由な付句の世界を持たなくなった俳句というジャンルにあって、その連句への潜在的意欲を指摘したのが高柳重信氏であった。これは雑の付句によって充足を得たであろう芭蕉とは真逆のパターンで、〈新興俳句運動の渦中での連作俳句や無季俳句の実践〉等をあげ、そこに季語に拘束されない付句への潜在的意欲を高柳氏はみたのであった。ただ新興俳句運動における無季俳句のテーマとは、芭蕉で確認したような古今的なものではなく、国家間「戦争」という現代的なものであった。
と記していた。
★閑話休題・・二三川練「青空のやましいところ撫でている」(「えこし通信」28号より)・・
江古田つながりで、詩と評論と文芸作品の詩誌「えこし通信」28号(えこし会)、中村文昭・栗原飛宇馬・池田拓矢・クリハラ冉の座談会「萩原朔太郎の詩の魅力・魔力―—」があった。二三川練は句作品「魔法瓶」と題して27句を発表している。
戦犯と呼んで電気を貼りつける 練
撮影・芽夢野うのき「本能を忘れし花に水をやる」↑

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