鴇田智哉「逃水の屈めば屈むほど軋む」(「WEP俳句通信」140号より)・・


 「WEP俳句通信」140号(ウエップ)、特集は「三協会統合について」、論考は、筑紫磐井「3協会はなぜ鼎立したか―ー協会統合の前提として」、西池冬扇「俳句広場(アゴラ)を作ろう」、仲村青彦「俳句/俳/俳句Ⅱ」、角谷昌子「俳人協会設立を再考して」、冨田正吉「三協会統合に向けての私論」、中山世一「俳句三協会の統合について」、柳生正名「『本質的類想句』視座から――『三協会統合』論をめぐって」、堀田季何「M&Aに他ならない」、井上泰至「いい野合、悪い野合―—三協会統合論に触れて」。なかでも、統合論の前提として筑紫磐井「3協会はなぜ鼎立したか」の「二、俳人協会の分裂」の項には、


 俳人協会の分裂の通説というものがある。36年第9回現俳協賞選考で赤尾兜子と飴山實が決戦投票となり、最終的に兜子の受賞が決定したが、現俳協賞決定直後から俳人協会の設立が極秘裏に進められ、「俳句」36年12月号に「俳人協会清記」という一文が発表dされ、12月20日、「俳人協会」設立総会が開かれたのであった。(中略)

 ●第2回選考委員会は10月31日に、草田男が欠席のため副議長である八束を議長に開かれ、提出作品をもとに赤尾兜子と飴山實が投票の結果9対5で兜子の受賞が決まった。

【解説】通説が誤っているのは、俳人協会の成立(発起人会開催)は現俳協賞の決定前であったことである。協会賞の決定前に既に俳人協会は発足していた。現俳協賞の決定で伝統と前衛の対立が現れ俳人協会が設立されたという通説シナリオがない以上、俳人協会の設立はそれ以前の事件、石川桂郎が現俳賞賞候補から外されたことに起因していると見るしかない。(それまでの現俳協賞の大半が30代であり、新人賞の性格を持っていた)。実に俳人協会の発足は、世代的対立に起因していたのだ。(中略)

 一方、現俳協の協会清記(昭和22年9月)では「協会は会員個々の俳句活動は之を全く拘束せず」としているから、有志により伝統俳句の親睦団体を作ることは否定されていない。(中略)

●これが大きく変わるきっかけは、12月4日朝日新聞(中村草田男)の記事である。草田男の文章は冒頭、虚子、の言葉で始まり、前衛俳句への攻撃、季題の必然性を述べるが、特に組織論としては次の点がある。(中略)

 この十一月に、まことの「伝統」を尊重し、まことの「伝統の克服」に献身せんと決意するもののみ相寄って、「俳人協会」が組織され、既に発足の実をとげた。(中略)

 (12月20日、「俳人協会」創立総会)

〇1月、楸邨・俳人協会幹事・会員の辞退。龍太の俳人協会退会。


 と述べられているが、本ブログでのこれ以上の引用には無理がある。是非、本誌本号を直接読まれたい。他の論者の論も、それぞれに積極的である。ともあれ、以下に、本誌より幾つかの句を挙げておこう。


  青草の雨のきれいにあがりけり        草深昌子

  作り滝なまぐさき風流れけり         坂本宮尾

  棕梠の葉の騒ぐ庭園夏隣          柴田多鶴子

  空蝉の眼に星入れ替はる           中尾公彦

  ひまわりのぬりえ戦争がおわらない    こしのゆみこ

  お八つにと軒の干鮎炙りをり         谷口智行

  花の国地震の国の今朝の空         すずき巴里

  妻のゐる天くすぐりて遠花火         衣川次郎

  雹降るや視界の歪むバスの窓        大竹多可志

  鶯の莫迦野郎ゐて鳴きどほし         佐藤明彦

  昭和百年レエン・͡͡コオㇳの過ぎりけり     田中亜美

  返せない傘より落つる花の塵         篠崎央子 



   撮影・芽夢野うのき「蓮の実飛ぶつつがなく兄は笑いたり」↑

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