山頭火「ホイトウとよばれる村のしぐれかな」(『入門 山頭火』より)・・
町田康『入門 山頭火』(春陽堂書店)、その「後書きにかえて『行乞記』『其中日記』」には、
古代から現代に至るまで、なんやら日記、という本は仰山出ているが、その中でも山頭火が残した「行乞記」「其中日記」は突き抜けて興味深いものに、俺なんかは感じる。
なぜかというとそこに嘘が無いからで、ここは思ったこと・感じたことについても、それを言葉として自分の外にだしたら、なんだかわからないがどえらいことになっているのではないか、なんてことについても、変に曲げずに直球で書いてあるからである。(中略)
山頭火は、句の完成は人間の完成によって初めて成る、という意味のことを書いている。金持ちの家に生まれた山頭火は人を見下すことによって、人をぶち壊し、また、自分もぶち壊れる人間の在り方が嫌でそれから脱却しようとしたように思う。そしてマア必ずしもそうなろうと思ってなった訳ではないだろうが、行乞流転の身の上となり、その低い位置からすべてを等し並に見る眼差しを獲得することによる回天を図った。(中略)だけどそれは不可能な完成を目指さないと響かぬ音であり、生じない熱と力である。俺なんかが山頭火の句に切なく共感しつつも、ここまで徹底できないな、と思う、その理由は多分そこらへんにあんのんとちゃうけと思う。
とあった。「関東大震災に遭う」の項では、
(前略)しかし巷には暴徒が溢れているから一人で行ったらあむないちゃん?
とそんな話になったのだろうか。山頭火ともう一人がついて行くことになった。
布団が足らんから借りにいこ、ということだったという話もある。
そうしたところ。その知り合いというのが社会主義者でその家は警察に見張られていた。
そんなこととはつゆ知らぬ暢気な三人が家に入ろうととしたところ、
「ちょっといいかな」
まど声をかけられ、三人は拘引され、豚箱にぶち込まれた。
大変な状況の中、まともな調べがあったのか、なかったのか。しかしまあ割とすぐに疑いが晴れ、釈放されたようだが、山頭火からすれば、マジでどえらい目であったであろう。
さんとうの東京生活はこんな風に、大災害によって終わった。しかし、帰るところはと言うと熊本しかない。山頭火は生まれ育った山口を素通りして熊本に帰った。
それは這うようにして逃げ帰ったというものであった。
とある。ともあれ、本書中に引用された山頭火の句をいくつか孫引きしておこう。
泣く子叱る親の声暗き家かな 山頭火
土掘る人の汗はつきずよ掘らるゝ土に
分け入つても分け入つても青い山
まつすぐな道でさみしい
ほろほろ酔うて木の葉降る
どうしようもないわたしが歩いてゐる
酔うてこほろぎと寝てゐたよ
うしろ姿のしぐれてゆくか
暗い窓から太陽をさがす
うまれた家はあとかもないほうたる
種田山頭火(たねだ・さんとうか) 1982(明15)年~1940(昭15)、享年57。山口県佐波郡(現・防府市)生まれ。
町田康(まちだ・こう) 1962年、大阪生まれ。
撮影・中西ひろ美「裏梅といふ替紋成駒屋」↑

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