正岡豊「泣いてもだめ 死ねばなおだめ 続けなさい 生き残り『だるまさんが転んだ』」(『白い箱』)・・


  正岡豊第二歌集『白い箱』(現代短歌社)、帯文は高山れおな、それには、


 この歌集には、昭和最後の男の児の声が充満している。そもそも私にとって正岡豊は、〈沼になる寸前をきみにみられてしまう〉や〈鷹としてふいにけむりをさけるかな〉の俳人なのだ。感傷の欠片も無く、地獄の機械(インファナル・マシン)のように美しい正岡の俳句を人間化したのが『白い箱』の短歌だ、と私は理解した。当否はしらない。


 とある。また。「あとがき」には、


 (前略)それでもまだ「短歌」から自分が離れずにいるのは、結局「言葉で書けないものを言葉で書く」というところに、ひたすら執着しているからだと思う。

 何かわからないものがそこにある、という、その感覚。または直観。

 自分にとって短歌で一番大事なものは、つまるところそれなのである。


 とあった。たしかに愚生にとっても正岡豊と出会ったのは、若き有望な俳人としての桐野利秋こと正岡豊だった。永田耕衣の「琴座」、そして、愚生と同じく「未定」同人だった。そして「俳句空間」第22号(1992年10月)では「新鋭作品欄・第5回新人賞」の受賞第一作は「そしてぼくも夏菊となり河をわたった」であった。その中から、3句を以下に、



   振り向けば秋、海、しょうが、秋、海、海    桐野利秋(正岡豊)

   夏菊をはだかのきみにかけてやる

   髪と柩でドッジボールコートに天国をつくれ


  ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を挙げておきたい。


 子供たちがさわぐので殺してしまいました わたしたちはうるさかったのです、と政府

 妖怪はいて怪獣はいなかった 帽子を脱いで沼を見ていた

 人の死はこころの死なの? 腎臓はてのひらのごと左右にありて

 「楽するためならどんな苦労も厭わない」矛盾が創りだしたシステム

 巻貝を何個もひろっていらっしゃい それがわたしのやさしさだから

 『金子兜太戦後俳句日記』にちらと出て二度は出て来ぬ島田修二

 空中で鳥は死ねない廣澤の池の地蔵のくらがり

 オリンパス・ペンを肩がけしてるのが父さん私の妻なのですよ

 ふゆかぜがいなくてはならない人をいられなくした時代があった

 人間はこころが痛がりだから「静御前」はこの朝も静か

                   *「静御前」は洗濯機の名称 

 一度だけ書き込めるそのCDのなかにも葦はそよいでいるか

 こういうときはどちらから脱ぐんだろうね サボテンに近いほうからじゃない?

 キイキイとからくり人形茶を運ぶ ぼくに明日があるということ

 まだきみを、こんちくしょう! ああ、まだきみを空飛ぶゆうれい船は撃てない

 きみのすべてを そういうだけでいまここにきみのすべてに火がつくのなら

 凱旋門 あとどのくらいぼくたちは弱さや強さでことを決めるの

 

 正岡豊(まさおか・ゆたか) 1962年、大阪生まれ。



★閑話休題・・「チンドン栗原モナコ唄の会」(於:南千住・泪橋ホール)・・






 昨日、1月6日(土)は、多田葉子・栗原モナコ・ナマステ楽団の「チンドン栗原モナコ唄の会」(於:南千住・泪橋ホール)に出掛けた。気楽で楽しい時間を過ごした。泪橋ホールでの次回は、1月27日(土)、ナマステ楽団+山本恭子に、漆原比呂志の「『難民との関り』を語る」。問い合わせ先は、080-5431-5393・スエモリまで。



    撮影・中西ひろ美「松取りて去年のものすでに懐かし」↑

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