飯島晴子「寒晴やあはれ舞妓の背の高き」(『およばずながら』より)・・



  石井隆司『およばずながら/俳句と人生と編集者』(KADOKAWA)、「はじめに」の結びには、


(前略)木の葉髪ふるさと遠く住む身かな   村山古郷

 俳句の仕事に就いて、どれくらいになるだろう。総合誌を担当してからでも二十五年以上が過ぎた。本当に、月日の経つのは早い。(中略)

 加齢と環境のせいだろうと思うが、それならば、俳句と過ごしたこれまでの日々を思い出し、改めていま思うこと、気がついたこと、なにより大好きな俳句や俳人たちのことを書き留めておこうと思うようになった。

 気楽にお読みいただけると、嬉しい。


 とある。また、「すこし長めの あとがき」の中には、


 (前略)最後の章に収めた「およばずながら」は、新たに書き下したもの、俳句の基礎知識からはじまり、俳句への向き合い方や心構えなど、私の俳句編集業務に関する多くは、鈴木豊一さんからの有形無形の教えによるものである。仕事を共にしたひとりとして、満腔の感謝ととともに書き遺しておきたいと思った。もとより鈴木さんの業績はこれにとどまらず、拙文は断章にすぎない。しかし昭和の終わりから平成にかけて、こんな俳句編集者がいたのだということだけでも知っていただけたら、嬉しい。


 とあった。愚生には、鈴木豊一について、忘れられない二つの思い出がある。一つは、三橋敏雄読本の企画であり、一つは『高柳重信読本』(角川学芸出版)についてである。まず『高柳重信読本』については、その編集後記に(S)とあるのは、鈴木豊一であろう。そこに、


 (前略)かつて「俳句」の別冊として『現代俳句辞典』を企画した折、「俳句研究」の編集長だった高柳氏は全面的な協力を惜しまず、特に新興俳句関連の立項や執筆者の選定など、多くの助言をいただいた。公正無私の姿勢に感銘したことを憶えている。また、「俳句」編集をはなれるとき、俳句文学館の地下で行われた有志の会に出席した氏は、「浅沼稲次郎が党首立合い演説会で凶刃に倒れたとき、国会の追悼演説は総理大臣池田勇人の感動的なものだった。今夜のあなたへの追悼演説はぼくがすべきであった」と言った。含羞の笑顔が瞼に焼きついている。俳句への礼節と来者への畏敬を忘れなかった先駆者の光が、うすぐらい俳句の道を照らしてくれるだろう。


 と記している。この『高柳重信読本』の出来上がりが、その協力者の一人である岩片仁次に、何かの手違いで送られていなかったのだ。愚生はそのことについて、岩片仁次が怒っていたことを知った。たまたま読本の発売直後、横浜近代文学館で偶然に鈴木豊一に出会ったときに、そのことを伝えた。彼は、送っていないはずはない、と少し困った顔をされたが、とにかく、岩片仁次に連絡し、その手違いについて、詫びられ、顛末を、愚生にわざわざ知らせて下さった。

 もうひとつの、いまだ実現していない「三橋敏雄読本」についは、三橋夫人の三橋孝子から、どういう仔細か不明だが、とにかくすべては愚生に任せるからお願いネ、といわれ、段ボール一箱の資料が送られてきた(それは、その後、林桂・「鬣」同人諸氏の尽力によって、『定本 三橋敏雄全句集』に結実した。散文集成は、愚生の非力ゆえ、いまだ未刊)。鈴木豊一は、三橋敏雄一周忌の会(愚生は出席していない)の場で、挨拶されたとき、読本を作ります、印税もキチンとお支払いします、と約束されたらしいので、まず、連絡を取った。その時はすでに社内での処遇も決まっておられたのだろう。もうウチからは出ないから、といわれ、その旨を、三橋孝子に連絡され、お詫びの手紙を書かれたことを、愚生に、後日申された。思えば、鈴木豊一も高柳重信とともに、公正無私で、俳句に対する尽忠の人であった、と思う。



 
 鈴木豊一『俳句編集ノート』(石榴舎)口絵「交流少ない俳人協会現代俳句協会の俳人が一堂に会した」とある↑

 ともあれ、本書中より、いくつかの句を以下に引用しておこう。


  うすらひは深山へかへる花の如       藤田湘子

  ほのめきて恋に至らず利休梅        草間時彦

  探梅行あとに蹤くことたのしめり      皆川盤水

  雪が降り石は仏になりにけり       今井杏太郎

  書庫の窓少しきしみて竹の秋        井本農一

  かたつむり甲斐も信濃も雨のなか      飯田龍太

  山国にがらんと住みて年用意        広瀬直人 

  木犀(もくせい)や川のきらめく街に住み   林 徹

  橡の花きつと最後の夕日さす        飯島晴子

  安心の一日あらぬ茶立虫         上田五千石

  冬の泉日の一炎を置きにけり        石田勝彦

  寒林といふ明るさに歩みけり        綾部仁喜

  大学も葵祭のきのふけふ          田中裕明

  掌(て)をあてて言ふ木の名前冬はじめ   石田郷子


 石井隆司(いしい・たかし) 1954年、神奈川県生まれ。



  撮影・鈴木純一「水仙に声かけてあげてでも嚇かさないで」

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