妹尾健「冬耕の畝のいつしか曲がり出す」(「コスモス通信」第69号)・・


 

 「コスモス通信」第69号(発行・妹尾健)、巻頭は「森澤程著『和田悟朗の百句―未完の少年』を読む」、また、論考には「宮田戊子編『新興俳句の展望』について ⑥ー④ 上田都史の連作俳句論」。招待作品は、竹味千賀子「十二月」の20句。


   虚空さまよふ枯蔦のあそび蔓     千賀子 


「森澤程著『和田悟朗の百句』を読む」には、


 あれは花森こま氏のやっていた『逸』の句会のことだった。この句会には和田悟朗先生は毎回出席されていたと思う。その時は福田基氏が出席されていた。福田氏が和田先生にむかって、

「和田さん、闇ってあるのですか?」

と質問されたのである。一瞬私はなんのことか分からず、和田先生の方を見た。先生は「それはねえ…‥」と話し始めた。私のような素養のないものにとってはほとんど了解不能の答え方であった。しばらく福田氏は質問されたが、それも私にとっては理解するのが困難なものであった。今となっては、それは科学と俳句とのみごとな対照となっていたとの記憶がある。意表をついたような福田氏の質問に即応していきながら、そこから自然界への科学者の目を語り、これまで詩歌として眺められていた花鳥諷詠的な自然観とは異なった自然の認識を和田先生は語られたように思う。和田悟朗を俳人として感じ始めた頃のことである。

 近頃、そんな生前の和田先生のことをよく思い出す。時間というものは冷酷なもので、和田先生のこともよく知らない人が多いように思われる。そんな時、森澤程氏が『和田悟朗の百句-未完の少年』を送ってくれた。


 とあった。ともあれ、以下に、句をもう少し紹介しておこう。


  一陽来復踵のしまりよき日なり    千賀子

  倖せは固まつてある冬菫        健

  鷹渡る一の鳥居の上越えて       

  南天の実を咲かせ不在の主かな     

  我を容れ全山すでに汗をかく     悟朗 

  永劫の入口にあり山さくら      〃



★・・閑話休題・・訃報あり。上田玄「地にふれてたちまち重き絮となる」(『鮟鱇口碑』)死去・・


 上田玄が昨年12月30日に死去した。享年77。第一句集『鮟鱇口碑(私家版49句)を手土産に、同人誌「未定」に参加した。40年ほど前のことになろうか。その後、句作を一時中断するも、同人誌「鬣 TATEGAMI」を復帰の舞台に選んで以後は、多行表記の作家となった。第二句集は、多行表記の『月光口碑』。はるかに冥福を祈る。


  あめふらし火のいろとほくなしくづす     玄

 

  撃チテシ止マム

  父ヲ


  父ハ


  黒旗黒髪

  わがことならず


  雷(らい)を哭き



  樅の木に

  転ずる

  途上

  雲を読む       


  浅草に

  隔靴ありたり

  愛の

  コリーダ


  月光寸借

  殯の森の

  我は

  漏刻


  塩漬けの 

  魂魄を

  荷に

  驢馬の列


  レーニンの

  卒塔婆

  南へ

  枯木灘


  贖罪や

  覚えはじめの

  イ音は

  みどり


  上田玄(うえだ・げん)1946年7月21日~2023年12月30日、享年77。

  静岡市生まれ。



     撮影・中西ひろ美「暖房やおもいでを金ンに包んで」↑

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