前川佐美雄「春がすみいよよ濃くなる眞昼間のなにも見えねば大和と思へ」(『前川佐美雄歌集』より)・・
三枝昴光之編『前川佐美雄歌集』(書肆侃侃房)、歌集14冊,1600首を収め、『植物祭』と『大和』を完本で収載。解説は三枝昂之。その冒頭「(一)忍海という風土」に、
明治三十六年(一九〇三年)二月五日、前川佐美雄は大和に生れた。立春の日だった。「われの日はきさらぎ五日梅咲けど何ものか烈しく復讐しをる」と詠んだのは大和の国を離れて茅ケ崎に移り住んだ最初の春、昭和四十六年である。なにが復讐しているのか。「何ものか」だから分からないが、大和の民佐美雄をにとって東下りはどこか流浪の民に近いおぼつかない思いがあったのではないか。(中略)
忍海(おしみ)は大阪と奈良を隔てる葛城山と金剛山を仰ぐことができる。母親の里を葛城山麓に持つ司馬遼太郎は、「そんな――いわが無為に近い――土地柄のなかから、折口信夫や保田與重郎、さらにはわが前川佐美雄といった、他とは比較を絶した詩魂がうまれたのは、ふしぎな気がする。共通しているのは、いずれも大和の土(くに)の霊に根ざし、人というより、巨樹を思わせるところである」(「日本歌人」平成三年七月号)と、佐美雄風土を語っている。
とあった。解説の小見出しを示しておくと、(二)出発、(三)『植物祭』の世界、(四)新古典派へー『白鳳』から『大和』へ、(五)危機の時代の精神―昭和十四年の佐美雄、(六)佐美雄における昭和の大戦、(七)佐美雄の敗戦期、(八)佐美雄の戦後と「鬼百首、(九)言葉遊びの人生歌、(十)東国の佐美雄、(十一)佐美雄が他界した日。
そういえば、先日亡くなった澤好摩の書肆麒麟版「俳句空間」の創刊(1986年)の集いに、三枝昂之が駆け付けてくれた。その折り、その創刊号に詩歌の多くの版元の広告が出ていたのを見て、これを集めたのは誰?と聞きかれた。愚生は、当時の職場の吉祥寺弘栄堂書店が、国鉄孫会社、鉄道弘済会(キヨスク)の全額出資子会社でかつ書店の売り上げは全国書店のベストテンに入っており、キヨスクには各社の週刊誌の売り上げが多くを占めていたので、今でいう、忖度が働いて、ほとんどが二つ返事の出稿だったのである。もう35年ほど前の話だ。このことは、後に、「俳句空間」第6号(1988年)より、弘栄堂書店から発行されるようになり、全国書店販売への道をひらくことになる取次であるトーハン、日販との取引開始にもそうした事情が反映していた。
ともあれ、本書中より、いくつかの歌を挙げておきたい。
かなしみを締(し)めあげることに人間のちからを盡(つく)して夜もねむれず
いますぐに君はこの街に放火せよその焔(ひ)の何んとうつくしからむ
春の夜にわが思ふなりわかき日のからくれなゐや悲しかりけりる
ふかいふかい霞のなかにのびあがり何んにも見えない景色みてゐた
戦ひにゆきてかへらぬ人思へばわが身にこもり濃(こ)き秋のはな
一生を棒にふりしにあらざれどあな盛んなる紅葉(もみぢ)と言はむ
海山(うみやま)の思ひをいかにか歌はむと苦しぶ時し春きはみたり
一億が死をきはめて元帥のあとこぞり敵(あだ)にむかふ日となる
用のなき歌をつくりて男(を)ざかりもいつか過ぎむいと歎きはふかし
やぶれたる國に秋立ちこの夕の雁(かり)の鳴くこゑは身に沁みわたる
既にはやく悲命(ひめい)に死ぬる幾人(いくたり)ぞ革命やすく成らむと思ふな
紙屑の如きものらを相手にし論争するは浪費ならずや
火の如くなりてわが行く枯野原二月の雲雀身ぬちに入れぬ
「おつくう」は億劫(おくこふ)にして億年の意といへればこころ安んず
前川佐美雄(まえかわ・さみお) 1903年2月5日~1990年7月15日。享年87.奈良県生まれ。
三枝昂之(さいぐさ・たかゆき) 1944年、甲府市生まれ。 愚生注;「昂」が字が少し違いますが、愚生のパソでは不可。お許しあれ)
★閑話休題・・映画・森達也監督作品『福田村事件』・・
昨日、11月下旬の寒さ予報の雨の中、思い切って、映画『福田村事件』(於:ユーロスペース)を観に行った。そのチラシの「イントロダクション――」には、
関東大震災の発生からわずか5日後の9月6日のこと。千葉県東葛郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、讃岐弁で話をしていたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。逮捕されたのは自警団員8人。逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された‥‥。これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。
とあった。映画の中で、行商団が殺されかけているとき、ぞの全員が、全国水平社創立宣言の一節、「(前略)兄弟よ。我々の祖先は自由、平等の渇愛者であり、実行者であった‥‥人の世に熱あれ、人間に光あれ」を唱えていたのは、被差別民の解放運動の人たちであったのではないかと思わせ、しかも、映画の中で、「嗚呼玉杯に花うけて~」の替え歌である革命歌が唄われていたのには、おもわず一緒に歌いそうになった。敢えて言えば、ウクライナ情勢その他を踏まえた、現在に対するメッセ―ジ性のかった反戦映画でもあるといえよう。濃い映画だった。
撮影・中西ひろ美「動かぬと決めて動けず秋の蝶」↑
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