若井新一「鳥雲に羽なきものは腕を組み」(『自註現代俳句シリーズ・若井新一集』より)・・


  自註現代俳句シリーズ13期・19『若井新一集』(俳人協会)、その「あとがき」に、


 昭和五十四年に俳句を始めて、四十四年。(中略)

 楽しみつつ多作を心掛け、気が付くともう、後期高齢者になってしまっている。青年後期、中年期、前期高齢者という時代を経て、今日があるわけであり、ただ、目をつむりその頃を振り返ると、どの年齢の時の句にも十分懐かしさがあり、景観が爽やかに蘇る。

 句作の成長は遅いが、この一冊の発刊を契機として、次の新しい句作への踏み台としたいと思っている。


 とあった。句の自註の例を二、三あげて、他は句のみをいくつか挙げておきたい。


   はるかよろ秋運びくる波頭(なみがしら)  昭和五四作

 俳句を始めて二年目。新潟の浜辺より沖を眺めての作句。「花守」志城柏(目崎徳衛)先生は、危なかっしい表現とおっしゃった。「花守」の初巻頭。

   雪囲ひ六尺はづし柩出す          昭和六三年作

 死亡は二月と八月が最も多い。病人が凌ぐのに厳しい気候のためであろう。遺体を霊柩車へ移すのは玄関ではなく、座敷から外へ出すのが慣習。

   塩味の濃き粥かけて成木責(なりきぜめ)   平成元年昨

 秋の果物といえば、昔は柿が王者。甘柿はもとより、渋柿も醂し柿や干し柿にし、渋抜きをして食す。柿の幹に塩辛い粥をかけ、今年の多産を促す。

   両眼を闇にひらきて水盗む         平成一六年昨

 ダムを作り土地改良を実施。用水の管理ができ水喧嘩は減った。が、用水の少ない扇状地の稲作は水の盗み合いがあり、人目を避けて夜中に実行。


   仏壇の中までおよび稲埃

   炉話やあぐらに乗せて子のあぐら

   太陽に額づくごとし田草取り

   ゆふぐれのなかなかに来ず白牡丹(はくぼたん) 

   西行に逢ふまで行かむ花の山

   寒林や人にけものに目の二つ

   闘ひつつなごみつつ雪降れり

   行く秋の真水平らを尽しけり

   かの世より頭(こうべ)の覗く蕗の薹

   天日を重しおもしと百日紅

   越後はも止むこと知らぬ春の雪

   いつの世の星と別れし螢かな

   真白なる雪の地獄に住まひけり

   根の国をまさぐりてゐる蓮根掘

   青稲のさゆらぎもなき真昼かな


 若井新一(わかい・しんいち) 1947年、新潟県生まれ。



★閑話休題・・山内将史「草の穂を土蜂の穴に立てて去る」(「山猫便り/2023年10月2日」)・・


   雲白し地平は何に遠ざかる  九堂夜想『アラベスク』

 何に遠ざかるのだろう。思い出に遠ざかるのだろうか。


   うつつなに

   踏まば蓮田の

   あゆみいた         酒巻英一郎 (中略)

   

 澤好摩さんに、俳句は少年と老人文学であると三橋敏雄は言ったというのは本当か尋ねた。本当。「俺は何度も聞いた」。真面目に受け取らない方がいい。いい大人がやるもんじゃないという意味だと。以下僕の感想。吹けば飛ぶよな将棋の駒に、に似た自虐的矜持だと。



  芽夢野うのき「もういいかいまーだだよふようかたばみ咲く」↑

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