鈴木六林男「われわれとわかれしわれにいなびかり」(『鈴木六林男の百句』より)・・
高橋修宏著『鈴木六林男の百句』(ふらんす堂)、巻末に「〈戦後を問い続ける――鈴木六林男小論」が収載されている。その中に、
(前略)六林男の職場俳句で、まず注目しておきたいのは、当時盛んに賞揚された〈聖戦俳句〉から見事に切れていることだ。極限的な戦場を自らの生活の場として捉えることで、〈死〉を再生産するしかない戦場の本質を、深く認識しえたためであろう。また、その表現的な水準において、これまでにない自立した言語空間を志向した新興俳句の影響を見逃すことはできない。(中略)
その後、六林男は〈社会性俳句〉の代表的な作家のひとりと呼ばれていくが、現在から眺め返してみると、明らかにエコール(派)としての〈社会性俳句〉との異和の方が際立っている。その中心において、しばしば唱えられた社会主義リアリズムという主張に対しても、六林男は同調していない。(中略)文学的なエコール(派)とは、つねに距離を置いた単独者の場にこそ〈戦後俳句〉における六林男の位置はあった。(中略)
敗戦後、さまざまな価値体系が流動していくなかで、それでもなお〈戦後〉という時代と相対し、俳句表現に昇華させるために六林男が手にした〈リアリズム〉――。(中略)
このような〈リアリズム〉を方法化させながら、六林男には、初期の戦場俳句「海のない地図」から最晩年に至るまで、〈群作〉という構成をとって発表している独自の流れがある。(中略)
なかでも「吹田操車場」、「大王岬」、「王国」などの作品群は、冬の季節に各々の句が統一されており、〈群作〉の制作意図に従って都合の良いように季語は入れ換えられている。このように季語を自在に入れ換え、その作品群をより明確なイメージに、導くための装置として季語を活用するのが、六林男が〈季語情況論〉と呼ぶ独自な方法論であった。(中略)
極限的な戦場を生き抜き、俳句表現によって〈戦後〉を問い続け、円熟や完成を拒み続けた鈴木六林男―。その軌跡は、今日もなお不穏な可能性を秘めたまま、未知の読者の前に開かれている。
とあった。六林男の句の鑑賞部分も紹介したかったが、本ブログの限界もあり、それは、読者諸兄姉にお任せし、直接本書に当たられたい。ここでは、句のみなるが、いくつかを以下に挙げておきたい。
蛇を知らぬ天才とゐて風の中
会ひ別る占領都市の夜の霰
遺品あり岩波文庫「阿部一族」
射たれたりおれに見られておれの骨
生き残るのそりと跳びし馬の舌
かなしきかな性病院の煙突(けむりだし)
暗闇の眼玉濡らさず泳ぐなり
天上も淋しからんに燕子花
満開のふれてつめたき桜の木
遠くまで青信号の開戦日
米国の一州として米(よね)こぼす
日光のあと月光の沈丁花
鈴木六林男(すずき・むりお) 1919年~2004年、大阪生まれ、享年85。
高橋修宏(たかはし・のぶひろ)1955年、東京都生まれ。
★閑話休題・・高橋修宏「地球儀の極地や永久(とわ)に熱帯夜」(「575」12号より)・・
「575」12号は、高橋修宏の個人誌。増田まさみのエッセイ「はいくましんもはいせんす」の中で、愚生は、すべて忘却の彼方にあったことだが、北川透の句を特選に選んだらしい。で、その選評が掲載されていたのには、驚いた。若書きの評であるが、増田まさみが出していた同人誌「日曜日」の誌上句会のこと。もう35年近く以前のことだ。こうして書き残してくれると、改めて、その時代の人々の顔も浮かんでくる。その他のエッセイの執筆は、皆川燈「滅びつつ燃やしつつ――冬の智慧の人、齋藤愼爾を悼む」、夏木久「淡海幻想」、今泉康弘「パロディー俳句の倫理(エチカ)とポストモダン俳句の精神(ガイスト』」、松王かをり「藤谷(ふじや)和子という俳人――引き揚げから北に生きて」、高橋修宏「〈モノ〉とリアリズム――修造・六林男・十三郎」。本号より、以下に一人一句挙げておこう。
山彦も海彦も消え消えて消ゆ 増田まさみ
相聞の春をまたぎの痺れ草 三枝桂子
鈴蘭の雨です父よ行きますか 皆川 燈
To be or NATO be…
世々いよよ絵踏みの一生(ひとよ) 青き踏む 内田峨者ん
人類は地球に謹慎してFine 夏木 久
砂遊びしたまま砂となる炎暑 高橋修宏
撮影・中西ひろ美「姥捨の月見に来しと口々に」↑
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