小倉倭子「よれよれでかつこよき紫黄天高し」(『帰心』)・・
小倉倭子第一句集『帰心』(書肆麒麟)、挟まれた便りに、「この句集を企画し制作にも取り組んでくださっていた/澤好摩さんが、二〇二三年七月七日にお亡くなりになりました。/まだ形になっていなかった『帰心』を、句友?山田耕司さんがひきついで仕上げてくださいました」とあった。栞文は山本鬼之介「江戸っ子気質」と澤好摩「初々しい情感」。装幀・表紙絵は孫の浜野穂花。まず、山本鬼之介は、
筆者が本句集の著者・小倉倭子(平成二十二年六月から本名の和子から倭子に改名)に初めて会ったのは、高尾山薬王院に建立された三橋敏雄氏の「むささびの句碑」の開眼除幕式が催された平成九年三月二十六日である。その日会場で山本紫黄から同伴した著者を紹介され、句碑の前で一緒に写真を撮り、彼女とひたこと三言話した記憶がある。その折、紫黄が「和子さんはなかなか俳句が上手くて水明の有望株だよ」と誉めていたのを今でもはっきり覚えている。(中略)
平成十八年四月、著者は友人と語らって同人誌「円錐」の門を叩き、俳号・紫(紫黄の紫で名告りhさ「ゆかり」)で代表の澤好摩氏はじめ強者揃いの同人諸兄姉に交じり、結社誌「水明」とは異なる環境で俳句の修練を積むことになる。
とあり、澤好摩は、
(前略)去来する俳人ひとり雪中花
母の日の句帳にネモフィラ栞とす
寝ころんで幼き頃の鰯雲
極月の物言ふ鳥が買はれゆく
著者が「去来する俳人ひとり」と言えば、それは心酔していた山本紫黄を措いて他にないだろう。「雪中花」は水仙のことを指すが、一方で調べてみると新潟の地酒に「雪中花」があった。そのあたりの心配りはさすがである。あとの三句も含めて小倉倭子には少女としての感覚や情感が失われておらず、この句集で示した世界をさらに書きすすめて戴きおたいと思う。
とあった。作品は「円錐」と「水明合同句集」からの抜粋の三百句余りを収録し、句集名を『帰心』とした」(「あとがき」)とある。因みに、集名に因む句は、
番鴨見詰め帰心の冬の浜 倭子
であろう。集中に山本紫黄にかかわる句が多くあるが、それは、愚生にとってもまた、愚生の若き日、「俳句評論」の句会でお会いし、紫黄の名告りとともに、偲ぶよすがともなった。ともあれ、愚生好みに偏するが、以下にいくつかの句を挙げておこう。
今昔の佳人変遷雛競ふ
落日の白玉掬ふ銀の匙
夕焼けるそこは紫黄の予約席
啓蟄の免れがたき誕生日
墨東の火の粉のやうな桜かな
青年にインクの匂ひ初しぐれ
墨東の街を色なき初しぐれ
卒業証書丸めて君を視野とせり
天上に女波寄するや竹の春
絡み合ふ人語と鳥語秋彼岸
眼前の青嶺に父の木霊かな
「敗戦日」に拘る紫黄忌日くる
三月十日紙飛行機を低空に
甘辛も酸いも苦みも紫黄の忌
戦争を知らぬ子であれ雛祭
菜殻火や戦火の子らが現に今
その先は黄河につづく梨の皮
野馬の目に涙の光黄落期
小倉倭子(おぐら・わこ) 1940年、東京都墨田区生まれ。
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