平畑静塔「徐々に徐々に月下の俘虜として進む」(『平畑静塔の百句』より)・・・
五島高資著『平畑静塔の百句』(ふらんす堂)、巻末に「平畑静塔小論」を収める。右ページに静塔の一句とその句の鑑賞が左ページに掲載されている、レイアウトである。一例を挙げておこう。
我を遂に癩の踊の輪に投ず 『月下の俘虜』
昭和22年
岡山のハンセン病患者隔離施設を大阪女子医専の学生達と訪れた際の作。折しも患者らによる盆踊が催されていた。当時、癩菌の感染力は低いことは知られていたが、治療法が充分に確立されていなかった。ゆえに患者と接近することは躊躇われたはずだが、学生に促され静塔はその踊の輪に加わった。それはまさに我を捨て去る「忘我」の境地だったのではないか。盆踊における音楽性と体感性、そして何よりのその回転運動が二項対立的な観念を超えて真の人間性を発露させるのかもしれない。以後、それは静塔俳句の核心的な詩境となる。
ともあれ、以下に本誌より句のみになるが、いくつかを挙げておこう。
ガスマスクやけに真赤な雲だけだ 静塔
狂ひても母乳は白し蜂光る
青胡桃みちのくは樹でつながるよ
苗竹の根付きし大和島根かも
〈その自註には「若山農園の幸央俳人(愚生注:若山幸央)は、目下竹の実生に打ちこんで、開花竹から採った実を畑にまいて、秋には発芽新生して来たのを一目見せてくれた」とある。竹の開花も珍しければ、専ら地下茎で殖える竹にあっては、実生からの栽培は難しいとされる。〉
栗拾ふものの光の見ゆるとき
三日月の光にふれて螢消ゆ
鉄格子からでも吹けるしやぼん玉
表裏なくかがやく精神科の聖樹
初雪やけがれなくして狂へるよ
平畑静塔(ひらはた・せいとう) 1905.7.5~1997.9.11 和歌山県生まれ。
五島高資(ごとう・たかとし) 昭和43年、長崎市生まれ。
★閑話休題・・港千尋・平藤喜久子編『〈聖なるもの〉を撮る――宗教学者と写真家による共創と対話』・・
港千尋・平藤喜久子編『〈聖なるもの〉を撮る〉――宗教学者と写真家による共創と対話』(山川出版社)、本書は、第1部「聖なる風景」、第2部「聖なる人」、第3部「先人たちのまなざし」からなり、執筆陣は14名。まったく門外漢の愚生なのであるが、縁あって露口啓二(1950年、徳島県出身。写真家。著作に『自然史』、『地名』など)の玉文に触れる機会を得たので、ごくわずかだが、以下に、引用紹介しておきたい。編者による対話も刺激的であるので、興味ある方は、手に取られたい。かくいう愚生は、府中市立図書館の蔵書より。露口啓二の題は「『アイヌの地』――『アイヌ‐モ‐シリ』を撮ること」、
「地名について」(中略)
アイヌ語地名の一例をあげると、北海道最北端の都市である稚内(わっかない)は「ヤム‐ワッカ‐ナイ」が起源だといわれています。アイヌ語で、ヤムは冷たい、ワッカは水、ナイは川、で「冷たい水の川、つまり、飲み水としてふさわしい川があるところなのです。このようにアイヌは、自分たちの活動エリアのいあたるところに地名をつけていました。(中略)
カタカナで表記された音は、その後、「稚内」「札幌」「釧路(くしろ)」「帯広(おびひろ)」といったように、漢字表記されていきます。(中略)
ところが、漢字は音も表しもしますが、音だけでなくそのひとつひとつに意味があるので、漢字で表記されるや、本来のものとは別の意味やイメージが現れ、ねじれが生じます。意味だけでなく音にもねじれが生じます。それはカタカナ表記でも同じですが、漢字表記によるねじれやずれには重要な歴史の構造が隠れています。
これらの北海道を覆っている漢字表記されたアイヌ語を北海道の風景を捉える起点にできないかと考えたのが、シリーズ「地名」です。
「地名」の撮影は、まず、アイヌ語地名を起源とし、それが漢字表記され地名として現在も使われている場所を訪ね、しかるべき位置に立ち、そこから見える風景を撮影する。そのあと、数か月の時間をおいてもう一度その撮影地点に立ち戻り、最初に撮ったカットの右あるいは左を撮影する。これで、画面上にずれを伴ったパノラマ写真ができあがります。そので得た二枚の写真と「漢字表記/その読み方/地名の起源となったアイヌ語/その意味」で構成されたキャプションを組み合わせて一組の作品とします。(中略)
アイヌの地を撮ること
アイヌが自らの生活領域を指す「アイヌ‐モ‐シリ」という言葉があります。本来は「人間の世界」、そして「アイヌ民族の島」を意味するのですが、そうであればアイヌ‐モ‐シリを撮ることは、現在においては不可能なことです。なぜなら、いまの北海道はアイヌ‐モ‐シリ」ではありませんから。
アイヌ‐モ‐シリは、明治政府によって「無主地」とされ、日本の国土に編入されたのでした。したがって、現在の「アイヌの地」、つまり不在の「アイヌ‐モ‐シリ」を撮るとしたら、なんらかの迂回路が必要です。写真撮影にかんしてこれから述べることは、その迂回路を探ることです。ただ、写真にできることは限られています。例をあげると、風景のなかには、正確にいえば風景に潜んでいる歴史のなかには、「語られない声」「語りえない声」が存在しています。ですが、写真にはそれは写りません。風景を見ることとその声を聴くことを、安易に短絡することはできません。その声を聴くために写真にできることはあるのか。その問いは、アイヌの地を撮るという行為と、つねに離れずにいます。
私が「地名」や「自然史」などのシリーズを通して撮ってきた北海道の風景は、ごく普通のものです。目を見張る光景、崇高さを感じさせる景観などではなく、ストレートな美しさを感じさせる風景であさえもなく、私たちが日常的に目にする(しかし見てはいない)平凡な風景なのです。
とあった。
港千尋(みなと・ちひろ) 1960年、神奈川県生まれ。
平藤喜久子(ひらふじ・きくこ) 1972年、山形県生まれ。
撮影・中西ひろ美「風吹けば波打つラベンダープール」↑
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