小池光「正規軍は白き『Z』を反乱軍は赤き『Z』を戦車にしるす」(「短歌」9月号)・・
「短歌」9月号(角川文化振興財団)、特集は「没後七十年 釈迢空の霊(たましい)」。編集後記にもあるが、「俳句」創刊号は迢空の追悼号で始まったので、「短歌」創刊70周年でもある。論考は、総論に高橋睦郎「迢空再読」、沢口芙美「『倭をぐな』の多様な魅力」、倉沢寿子「歌集『海やまのあひだ』への愛着」、阿木津英「モラルの感覚」、三浦雅士「折口信夫と『さびしさ』の起源」、鎌田東二「言霊の歌人・釈迢空」など。特別作品に、岡野弘彦「わが師を思ふ」10首。なかでも高橋睦郎は、
(前略)迢空は伊勢との訣別後もその写真をひそかに匡底に秘めており、迢空の逝去直後最初の門弟中最後まで迢空に忠実だった鈴木金太郎が遺品を燃やす火の中にくべていたと岡野さんから伺ったことがある。これを比喩的に、迢空における伊勢清志はかの古代ギリシャの哲人ソクラテスにおけるアルキビデスに似た存在である、ということができるのではないか。
こんなことをいうのも、このわが国大正・昭和の歌人とギリシャ古典期の哲人に黙契にも似た近似性を覚えるからだ。大阪天王寺中学校後上京した迢空が少壮の新仏教家に愛されたように、若きソクラテスもイオニアからアテナイに来た哲学者アルケラオスの愛を受けている。迢空の好みの弟子への性愛は存命中から暗黙の了解事項だったが、ソクラテスのそれもプラトンの諸対話篇に明らかだ。(中略)ソクラテスがペロポンネソス戦役敗戦後の暗黒時代に一命を賭して自分とは直接関係のない無辜の人を救った挿話は有名だが、迢空の勇気もそれに劣らない。太平洋戦争中の昭和十八年春、日本文学報国会理事会での軍の報道高官によって事務局長があわや国賊とされそうなところを、立ちあがり静かな声で論拠を挙げて救った顛末を、戦後になって平野謙が感嘆をもって伝えている。迢空という女性の声の持主は同時に軍の権力をも畏れぬ勇気の持主だったのだ。(中略)
戦ひに果てしわが子も 聴けよかしー。かなしき詣旨(ミコト) くだし賜ぶなり
同性愛的共感から出た愛の感情はホモ・ソーシャルな関係にとどまることなく異性にも及ぶ。これは明治維新以来はじめての体験である敗戦を潜ったという社会的事情もあろうが、同じ家の中で父と母の妹とが通じて双児の弟が生まれたという特殊な家庭事情にも拠っていよう。この点だけでいうなら、女性的声を持つ迢空はひたすら男性的なソクラテスを超えていた、といえる。
辻に立ち ひとの袖ひくをとめ子を 叱るすべなし 国はやぶれぬ
むすびとに かたゐに おちず生きむとす。 この苦しみを 子どもらも見よ
と述べている。「短歌」9月号は、愚生は、その巻頭の小池光28首を読みたくて、手にとった偶然、たまたま「迢空特集」だったというわけだが、最も興味深かったのは、高橋睦郎の総論だった。ともあれ、以下に本誌本号より、いくつかの歌を挙げてきたい。
ひしひしと 百歳の身の痛(うづ)く日を 生きて ひたすら 師を思ふなり 岡野弘彦
最後だねランボー語り見つめ合うベイルート五月 ジャカランダ満つ 重信房子
折鶴を黄金(こがね)の紙にもどしつつ願ひをひとつ帳消しにせり 喜多昭夫
太宰治の命日今日でふと過(よぎ)る「絶望するな。では、失敬。」 小池 光
一九〇六年、須賀子は田辺の牟婁(むろ)新報の臨時編集長として招かれた
有田川 扇ヶ浜の白砂を素足で踏みたる管野須賀子よ 道浦母都子
交換はできない身体鉄棒に我慢できなくなるまで吊るす 東 直子
四国よりは大きいという 赤い芥子一面に咲くクリミアの丘 佐佐木幸綱
あの夏は欲しがりません勝つまでは 店に並ばぬ佐藤錦や 志野曉子
大凧をせおう空間 ただ暗い そこまでが声がのぼることなく 井辻朱美
炎上する君のブログを閉じたのち窓に立つ モスクワは燃えているか 谷岡亜紀
木洩れ日と墓地に吹く風 蜻蛉(あきつ)来て墓石にとまる河野裕子忌 田中道孝
★閑話休題・・津髙里永子「仰がねば咲かぬわが家の酔芙蓉」(「~ちょっと立ちどまって~2023・8」)・・
森澤程と津髙里永子の葉書通信「~ちょっと立ちどまって~2023・8」。もう一句を挙げよう。
影いまもお花畑に落ちしまま 森澤 程
芽夢野うのき「水中は鯨の胎内水の夢」↑

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