大泉史世「雨の空群れるものかよ独り往く」(「大泉史世一周忌に」)・・
「大泉史世一周忌に(2023年5月18日)」、先日、愚生は鈴木一民から連れ合いだった大泉史世の一周忌を若い詩人たちがしてくれたと伝え聞いていたが、そのときのリーフレットと合わせて新聞記事などが添えられていた。もとより、愚生にとっての便りであるが、愚生が見逃していた新聞記事のコピー(「毎日新聞」5月15日夕刊)、前田英樹著『保田與重郎の文学』(新潮社)も同送してくれていた。その前田英樹の出世作となった『沈黙するソシュール』(書肆山田)は、鈴木一民と大泉史世の尽力によって世に出された書だった。その前田英樹は、鈴木一民も含め、愚生らが若かった一時期、すでに若き武道家であり、師範代だった彼に、新陰流兵法を学んだことがあったのだ。
リーフレットの大泉史世「淋しいなぁ。不公平ダョ。」には、
今年は滅法暑い夏だった。しかし、ここ数年、毎年同じようなことを言っている気がしないでもない。冷した中華そばを食べるといつも思い出す声がある。(中略)彼、吉岡実が亡くなって、まる十年になる。その年はまた、やはり詩人である友人・高橋順子が後に晩い結婚をすることになる人物に出会った年でもある。(中略)
「ペコパン」のマダムと最初に会ったのは、それからさらにきっかり二十年前のことになる。かけだしの社員として私が勤めていた出版社に、社長秘書兼経理担当者として登場したのだ。まだ「細田さん」といって、名のとおりに細い、ボブカットの似合う颯爽とした女性だった。(中略)会社は若い社員が多く、お姉さん気質の彼女に何かと面倒を見てもらった。けれども、少人数だが、激しいやりとりのある人間関係が煩わしかったのか、気風に染まなかったのか、彼女は間なしに辞めてしまった。(中略)そうしてやむなく転職した結果、細田さんは山田宏一さんと出会うことになる。パリに出掛け、念願のコーヒー店を開くことになる。やがてチェロに親しむことにもなる。一つのことがどういう展開をして行くかは本当に判らないけれも、彼女の運命には偶然だけではない確かな選択による必然のようなものを感じる。つまり、それこそが生の成就ということなのだろうか。
コーヒーは抜群のおいしさだと思うが、ビンボーなこともこの上なかったと思う。(中略)
その彼女が「不公平だなあ……」「やっぱり不公平だと思うな」と私に言うことがあった。乳癌のことが判って、前の手術をした頃からである。あなたはお酒もタバコも私より沢山呑むし、夜更かしもする。なのにどうして私の方が病気になるの?というわけだった。(中略)
最後に遊んだのは三年前の夏になる。二日酔いで舟遊びをして、すっかり疲れきり満足もした。館山の駅で、もう荷物を持つのもいや、と空色のビーチサンダルと麦藁帽子を私におしつけた。去年は若い仲間と連れ合いと三人で香谷(こうやつ)の晩い海に出た。「ペコパン」の麦藁帽子を被って行ったが、碌なことはなかった。今年は九月の末になってから、連れ合いと三人で沖縄の海に出掛けた。青いビーチサンダルを、やはり「ペコパン」からもらった頭陀袋にしのばせて行った。旅は難渋したが、空も海も青かった。座喜味城跡の古い石組に、ひぐらしの一種だろうか、カナァ、カナァ、と一つ声を重ねる蝉の声がのんびりと響いていた。淋しいなあ、と思った。不公平ダョ、と呟いてみた。(書肆山田)
「ペコパン」主人・山田祐子さん追悼文集より
遺された三句(2022年4月上旬)
雨の空群れるものかよ独り往く 史世
鉄塔の下とびまどう黒い羽根
腫れ足で蟻をイッピキ介助する
とあった。 合掌。大泉史世、享年77。
愚生注*「ペコパン」は神田神保町にあったカフェ。店の看板はコクトーの描いた猫。店主の山田祐子は2000年5月5日、50代で亡くなられている。夫君は映画評論家・山田宏一。
撮影・中西ひろ美「梅雨月の満月らしき滲みよう」↑
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