村上きわみ「背から抜く赤乾電池 メアリーのとてもしずかな心臓ふたつ」(『とてもしずかな心臓ふたつ』)・・
錦見映理子編・村上きわみ歌集『とてもしずかな心臓ふたつ』(左右社)、栞文は、「村上きわみ一首評」に穂村弘、田中槐、岡野大嗣、平岡直子、枡野浩一。2001年1月1日の村上きわみの「あとがき・羊の脚の林を抜けて」の中には、 (前略) 私にとって短歌を書くことは、自分をとりまく世界への違和の表明のようなものでした。あるいはその違和を確かめ確かめしながら、世界に触れ直していく試みのようなものと言ってもいいかもしれません。と同時に、自己の内部に無数の他者を呼び起こし、他者の内部に多くの自己を発見していく中で、乖離と融和とのあわいを、ぎくしゃくと往来するようなことでもありました。思えば、あの羊の脚の林を抜け、長い時間をかけて出会った短歌は、すでに世界との蜜月からは引き裂かれた姿として、眼の前に立っていたのかも知れません。短歌という詩形式への思いは、常に複雑に屈折したものでした。そしてその屈折は今なお続いているように感じています。それでも、一首を書きはじめようとする時のあの茫漠とした心持ち、真っ白な紙を前にして自分を一点に引き絞っていく時の心もとなさが、たとえば赤ん坊の発語の瞬間のような自在さを兼ねそなえたものであってほしいと願ってきました。 とあり、錦見映理子「編者あとがき」には、 私と村上きわみさんは、二〇〇〇年頃にインターネットの掲示板で知り合いました。SNSもなかった当時、ネットを主軸に活動する歌人はいませんでした。荻原裕幸さんが「ラエティティア」という短詩系文学に関わる人達を集めたメーリングリストを運営して精力的に活動していたのが目立っていたくらいで、他はいないものとされていました。その頃、「歌人」とは結社に属している人のことだったのです。 しかし、当時のウェブ上には、結社所属の有無に全く関わらない、歌人同士のゆるいつながりが少数ながら出来ていました。穂村弘、桝野浩一、正岡豊といった、短歌の総合誌では決して見られない組み合わせによる議論が、毎日のように掲示板やチャットで行われていました。一九九五年頃から結社に所属せずに短歌を書いていた私は、パソコンを購入したのをきっかけに、藤原龍一郎さんや「かばん」等の短歌関係者が運営する掲示板を覗くようになり、きわみさんの掲示板にも書き込むようになったのです。 きわみさんの第二歌集『キマイラ』は、そ...