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宮岸羽合「陽光と差し違へたる揚雲雀」(『川音』)・・

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                                                         宮岸羽合第一句集『川音』(鳥影社)、投げ込みの冊子(非売品)には、中原道夫「序に替えて」と中原道夫による宮岸羽合の20句を超える句評、さらに収録句全句に「よみがな」が付してある(ある意味、句集本体を読まなくても、本冊子があればよいのだ)。句集カバー、冊子扉も著者撮影である。中原道夫「序に替えて」の結びには、 (前略) 段々私の選に入るようになって来ると言うことは、好むと好まざるとにかかわらず定型のギブスに嵌ることで、その身動きの取れない不自由さに甘んじて行くことになる。しかし、その不自由さを克服すると、俳句と言う小器に思いも寄らぬ質量のものを盛ることが出来ると知る。その辺りが誰もが俳句の面白さに嵌るラインで、既に自身も嵌ったことを自覚している筈。少々時間に遅れても、実際の句会に身を置くことは大切なことで、私の選に入る入らないは別として、他人の句を見て読み解く、という行為で進む方向を自分なりに見出して、それが今日の羽合俳句の姿勢となっている。この作者、教壇から去ろうとしているのだが、あまりその感慨というものを披歴したことが無い。何十年も間の引率者として、修学旅行に行った先々の句を、私が余り評価しなかった所爲か、残していない。こちらも記憶にない。としたら、個人的な思い出を削ぎ落したことになる。お詫び申し上げる。  とあり、著者「あとがき」には、  (前略) そんな私は、四十を過ぎてから俳句を本格的にはじめました。初心者の私は二〇〇一年頃からインターネットのゴスペル俳句に投句しはじめました。その運営をしておられた、やまだみのるさんには、大変お世話になりました。みのるさんが結社に入ることをすすめて下さったので、面白うそうな俳句を作る中原道夫先生の結社、銀化に入ることにしました。 (中略)  この句集には、俳句を知らない方々にも俳句も面白さがわかるようにと、中原先生直々の句評が付いています。...

各務麗至「左思右想さくらふぶきとなりにけり」(「詭激時代つうしん」2)・・

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 「詭激時代つうしん」(詭激時代社)、「あとがき」風の記述に、   今回から、この栞を「詭激時代つうしん」とすることにした。  個人誌「詭激時代」も「戞戞」も、それぞれ私にとっての一つ一つの時代であったように、この栞版「つうしん」も私の新しい時代になるだろうと思っている。  見た目を考慮しての今号の設定形式で、連作先頭になる先の「私小説ならぬ俳句」を、当時の発行日付を調整変更して「詭激時代つうしん1」として再発行することにした。  そして「戞戞」も終刊宣言するつもりはなく、総括的に折々に発行したいと思っている。  とあり、1号、2号の発行日を見ると、それぞれ令和七年三月九日、四月九日とあるから、各務氏は、たぶん、毎月の細君(岡田佐代子・2025年1月9日没)の月命日を目途に「つうしん」を発行されるつもりなのかもしれない。 また、「その後……」には、   永代供養納骨も四十九日も済んで、三回目の月命日が来てしまった。そして、佐代子の菩提寺になるだろう、徳賢寺での彼岸会の法要もけんがくさせていただき法話も聞かせていただくことになった。  英龍老師に拝顔するそのたび涙ぐんでしまう。老師は、佐代子に御世話になって……、といつもお会いするたび仰っていただけで、こちらこそ救われて、……。(中略)  こんな思いは、残された者が一生背負い続けることになる一つの煩悩ということなのだろうか。  わからない……。  とあった。句作品の中から、いくつかを挙げておきたい。   春夙吾妻絶命慟哭来 (はるまだきあづまぜつめいどうこくく)  麗至    私小説ならぬ私俳句春まだき    春の接吻うれし涙もさよならも   春の空さよならはないまた会はう   朧夜や生きてあることこの如く   末黒野や渡る風ありなごみけり   朧夜や生死てふは生きてこそ ★閑話休題・・露の紫&林家つる子「紫のつる~東へ飛ぶ~」(於:府中市バルトホール)・・   一昨日、4月13日(日)は、地元・府中市バルトホール(ル・シーニュ5F)で、府中・落語長屋主催の上方落語・江戸落語二人会「紫のつる~東へ飛ぶ」をきすげ句会の仲間たちと楽しんだ。林家つる子は昨年の真打昇進!、露の紫も第19回繫昌亭大賞奨励賞受賞のお祝いとなった。来年も同場所で4月11日(土)に開催が決まっている。         撮影・中西ひろ美「元気か...

石原直温「国のためいしずえきづく石原の石のひとつとわれはゆくなり」(『会津隆吉と青梧堂』より)・・

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  清水久子『会津隆吉と青梧堂』(ネコオドル)、その序章の冒頭に、   古びたえんじ色の、すこし小ぶりな文学全集、そのなかの一冊に「おじいちゃんの写真」が載っている。  それは、集英社版『日本文学全集』第三十八巻の「横光利一集で、巻末の「作家と作品」という小文に添えられている写真だ。キャプチャには「十日会(句会にて)」とある。十五人の男性が前後二列に並んだ集合写真で、前列の左から三人目が横光利一。そして、前列の一番左にいるのが私の祖父、会津隆吉だ。  昭和四十一(一九六六)年発行の古い本なので、写真の画質は荒く、正直なところ顔がよくわからない。けれど、祖父の写真が載っているこの本は、祖父が会津隆吉という作家であり横光利一の門人であったことの証として、家族に大切に守り継がれてる。 (中略)  調べてみると、祖父は会津隆吉のまえには三原達夫という名で執筆していたことがわかり、三原達夫名義の作品が次々と見つかった。そして戦時中には宮川マサ子という名で従軍看護婦の小説を書いていたこともわかった。「作家と戦争」について考えさせながら、さらに時代を追っていくうちに、祖父や祖父の家が巻き込まれた「戦争」が目の前にあらわれた。  とあり、また、著者の「あとがきに代えて」には、   ようやく一冊にまとまったこの本のなかで、一番多く登場する言葉は間違いなく「わからない」です。どれだけ調べても調べきれず、まだまだわからないことが多すぎる。  それでも。『北京の宿』しか知らなかった会津隆吉が、名前しか知らなかった『青梧堂』が、名前すら知らなかった三原達夫と宮川マサ子が、以前よりもはっきりと輪郭を持ちはじめています。  この本を書くにあたって、ひとつだけルールを決めていました。  私は図書館員。図書館員らしく、レファレンスで勝負する。資料にあたる。取材はしない。  図書館振興財団が主催する「図書館を使った調べる学習コンクール」でさえ取材して調べることを推奨しているのに、これはいかがなものかと自分でも思うのだけれど、そうとでも決めないと終わらないと思ったのです。戦後八十年、二〇二五年には形にしたいと思っていたたから。   とあった。そして、本書中の小見出しで「十日会」と「三省堂時代」についての部分に、   十日会    横光利一の命名で会津隆吉に改名したこの時期、会津は横光が発起人になり昭和十...

田中信克「葉桜のどこかに自分だけの地図」(「つぐみ」No.222・4月号)・・

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    「つぐみ」No.222・4月号(編集・発行 つはこ江津)、本号の「俳句交流」は田中信克。論考は外山一機、今号は「震災句の読みと詠み」。その中に、  加島正治が『終わっていない、逃れられない(当事者たち)の震災俳句と短歌を読む』(文学通信)を上梓した。本書は二〇一一年の東日本大震災と向き合った俳句・短歌を考察したものである。 (中略)   たとえば、小野智美編『女川一中学生の句 あの日から』(羽島書店)である。これは二〇一一年五月と一一月に、宮城県女川第一中学校で行われた授業内で生徒が作った俳句をまとめたものだ。 (中略) 鹿島が注目するのは、この紹介文である。   聞いちゃった 育った家を こわす日を    その日から震災前のアパートを夢に見る    ベッドから見た天井。家族で囲んだ食卓。    目覚めれば、こう思い直す。    前へ進もう。  加島は次のように言う。 (中略)      なぜ執拗に小野は「前へ進ませようと」するのか。な    ぜ嘆き悲しみ、生きることに絶望することを中学生に許    さないのか。「前に進まなければならない」と誰かが他    人に強いたとすれば、それは暴力である。   加島が指摘するのは、小野が句の解釈をある一つの方向へ誘導するかのような書き方をしていることの持つ暴力性である。(中略)  加島の「被災時の詠み方」がありしれは平時に研鑽されてきた〈表現の技法〉からみれば、そこからはずれる〈なにか〉であるという。しかしそれは本当だろうか。  僕にはむしろ被災時においてこそ「平時に「研鑽されてきた〈表現の技法〉が強化されるように思われてならない。なぜなら、そもそも俳句という形式は、それにかかわる者たちに「中央」の価値観への加担を求めるものであり、しばしば「特殊」性を捨象することを求めるものであるからだ。それを「ネーションに加担する罪」と述べたのは北海道出身の柳元佑太であった。  とある。興味のある方は、直接、本誌に当たられたい。ともあれ、以下に、本号より、いくつかの句を挙げておきたい。   弱者の連鎖春の夕暮れむらさきに        田中信克   春一番腹筋背筋大腎筋             有田莉多   解体のショベルが冷えて月冷えて        入江 優   与太郎がくすりと覗く春の穴          井上広美  ...

八木重吉「詩人とは かなしみのひと/詩(うた)こそは かなしきよろこび」(「本と音楽のYO-ENライブ」より)・・

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昨夜は「本と音楽のYO-ENライブ/詩人・八木重吉を歌で紡ぐ」(於:高円寺・本の長屋) 主催=マイティブックに出掛けた。チラシには、   高円寺《本の長屋》で文学と音楽をテーマにして、ヨーエンが大好きな八木重吉の詩をギターで奏でます。  とある。ステージの第一部は、YO-EN(よーえん)さんのオリジナル曲の「魂ふたつ」のほか昭和歌謡のカバーなど、主催者の希望で中島みゆきの「悪女」も唄った。第二部に八木重吉の詩に曲をつけたオリジナル15曲の内、半分近くを唄った。   「YO-EN 唄会/黄昏に恋して㉒/2DAYS」。来たる4月19日(土)17時~、20日(日)16時~(於:国立・ギャラリービブリオ) 、2500円(要予約、限定23席)↑  八木重吉(やぎ・じゅうきち)は1898年、東京町田市生まれ、結核にへ29歳で夭折。  YO-ENさんはシンガーソングライター、オリジナル曲をはじめフォークや昭和歌謡をギターで弾き語る。愚生は、彼女の八木重吉の曲のなかでは、「わたしは悪い人間だもの」(『花と空と祈り』所収の無題詩より)と「まり」(『鞠とブリキの独楽』より)が好みである。  ★閑話休題・・津髙里永子「蛇穴を出でてくつつく陀羅尼助」(「ちょっと 立ちどまって」2025.4)・・ 「ちょっと 立ちどまって」は、津高里永子と森澤程の二人の月イチのハガキ通信である。     点景のつばめ点眼沁みわたり       森澤 程      撮影・中西ひろ美「春陰やうすがみを剥がしきれずに」↑

中村安伸「よきパズル解くかに虎の夜食かな」(「新・黎明俳壇」第13号より)・・

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 「新・黎明俳壇」第13号(黎明書房)、特集は「気鋭の俳人10人が鑑賞!/正岡子規、最後の1年の俳句を読む」。 「俳句は、最晩年の随筆集『仰臥漫録( ぎょうがまんろく』 『病状六尺 (びょうじょうろくしゃく)』 (共に岩波文庫)のニ著から武馬が20句選び、各2句を現代気鋭の俳人10人に観賞していただきました。どうぞ、お楽しみください。(武馬久仁裕) 」とある。執筆陣は、かわばたけんいち・小枝恵美子・なつはづき・川嶋ぱんだ・山科希・村山恭子・岡村知昭・二村典子・川島由紀子・大西美優。  ブログタイトルにした中村安伸「 よきパズル解くかに虎の夜食かな 」の句は、田中信克「名句再発見/中村安伸―—虎の夜食」からのもの。その中に、   謎めいてユーモラス。そしてどこかに哀しみも漂う、不思議な味わいの作品です。  まずこの虎の表情が面白いと思います。パズルを解く時のような思案顔。味を楽しむ満足気な顔。肉塊に齧り付く獰猛な顔。三つの貌が同居した獣が、夜の檻の中で孤独な食事を続けています。作者はそんな虎の姿に、ふと自分の生活と気持ちを重ねたのかもしれません。  この「パズル」のピースは動物の骨でしょう。肉が剥された骨が散らばっています。虎はそれらを眺めつつ、食べてしまった動物の元の姿に骨格標本を組み直そうとしているかのようです。 (中略)   作者の中村さんは現代の俳句界にあって、旺盛な創作活動を展開する『豈』の同人です。繊細な感覚とユーモアやインパクトのある作品で読者を魅了し続けています。私の一推しの作家です。  とあった。ともあれ、本誌本号より、アトランダムになるが、いくつかの句を挙げておこう。    唐突に朱雀門なり青田道         向瀬美音    思い出を常温にして桃を剥く      なつはづき    ドローンに見下ろされゐる秋思かな    杉山久子    モーニング・メニューを見つつ秋の風  梨地ことこ(第48回「黎明俳壇」特選)    秋風にまだいけますよとかき氷      井上秀子( 〃 ユーモア賞)    病窓を外から眺む師走かな        水越晴子(第49回「黎明俳壇」特選)    馬鹿野郎オレオレ詐欺の初電話      海神瑠珂( 〃  ユーモア賞)    冬銀河渦巻くコイン・ランドリー    武馬久仁裕        撮影・芽夢野うのき「だ...

伊藤康次「太棹や桜隠しのバチ叩く」(「立川こぶし句会」)・・

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    本日、4月11日(金)は「立川こぶし句会」(於:立川市女性総合センターアイム)だった。以下に一人一句を挙げておこう。    米寿喜寿師と教え子と花見酒         三橋米子    提灯のまだ無き河津さくらかな        伊藤康次    天守より見下ろす母校花の海         尾上 哲    雪村の暗き庵 (いおり) に花使い       髙橋桂子    “年だから“笑ひとばして木瓜の花       井澤勝代    女子会にルンルンカーディガンすみれ色    川村惠子   木々ゆれて風の清しき落花かな        山蔭典子    楢枯れの伐採根株に花すみれ         和田信行    待ちわびし花ははらりと散り急ぎ       大澤千里   胴吹きの桜心はここにあらずかな       大井恒行 ★閑話休題・・「遠景・近景 展ー世界のアーチストは連帯している」2025年4月7日~4月12日(於:ギャラー檜B.C)・・  昨日、時間をみつけて「遠景・近景 展」に出掛けた。展示作家は浅野康則・河口聖・楠本惠子・小林哲郎・𣘺本悠・樋口慶子・富塚春美・山中宜明。その企画の趣旨案内に、  遠景・近景展ー生命の尊厳ー世界のアーチストは連帯している(三浦一壮・舞踏家) 今展は、昨年韓国ソウル仁寺アートセンターで開催されたKorea-Japan International Exhibition Asian Way2024に参加したアーチスト8名による一人、一壁面を使った展示会です。  アーチストの活動は海を越えて世界各地で交流を続けています。遠景・近景展はそうした世界のアーチストとの交流を通して、平和への希求を目指したものです。        とあった。         撮影・中西ひろ美「蟇出づる万物の大方を見上げ」↑