嵯峨直樹「透明なペットボトルは半透明のふくろに朝のひかりを張って」(『美志』23号)・・
「美志」23号(編集・発行 さいかち真、嵯峨直樹)、詩作品に江田浩司「菊の翁 江田興三に」、さいかち真「夏」、「的」。論考に江田浩司「角川『短歌』特集/『シュルレアリスムと短歌』を読んで思うこと。」、「岡井隆」と坂野信彦『深層短歌宣言』のと、など。」、さいかち真「黒木美千代歌集『草の譜』について」、西巻真「文語旧仮名の魅力ー現実と浪漫についてー」。その西巻真の論中に、 (前略) 沈船の窓よりのぼる泡よりもはかなきことを今こそ言はめ 山田富士郎 つつましき花火打たれて照らさるる水のおもてにみづあふれをり 小池 光 変なことを言うように聞こえるけれど、文語が伝統的な写実の感覚につながるなんて、少なくとも私は信じていない。むしろ写実に接続するために文語を使っているのだとしたら、あっさりした新仮名でなりけりを使った方が趣があるし、現代の感覚をただ写したいのなら、新仮名の口語の方に利があると思う。 (中略) 現代のわれわれから見れば、文語はどう見ても「浪漫 (ロマン )の領域に属するものだ、ということはこれら戦後の短歌を見れば納得していただけると思う。 情感というのはすぐ消える儚いものだ。それをなるべく長くとどめておきたい。ハ行音が多くて読みにくい文語は、感情を載せるのではなく、一瞬でも長く感情を留めておきたいという作者の願望のために最適な表記なのだとい思う。私は文語旧仮名遣いの歌をそのように感受してきたし、戦後歌人たちも情感に満ちた秀歌を多く生み出してきた。 (中略) 現実が「見るに耐えない」と、おそらく人は「浪漫」というか非現実世界に逃避する。わたしは別に浪漫的であろうとしたことはなく、単にそうするしかなかったのだ。 (中略) 最後に、多くの歌人が無意識に言ってしまう批評用語についても指摘しておこう。たとえばいい作品に出会うと「リアリティ」があるという言い方はよく見受けられるけど、「浪漫性」があるという批評用語はまず見かけない。 (中略) 私たち現代人は「突拍子もない幻想」にむしろ慣れているので、「この漢字の使い方は世界感がひろがる」「この用法はロマン性がある」「この言い方に心を揺さぶられる」など、感情や幻想の効果をきちんと受け止める批評があってしかるべきだと思う。いまの短歌批評がつまらないとすれば、それは「現実/浪漫」という対立軸が批評には...